延々歌い交わした三時間

   <鐘の鳴る丘コンサート>



猿が三頭、左の松林から出てきてゆうゆうと道路を横断していた。
彼らは全く怖いもの知らずの余裕だった
四辻を山手に左折して少し上ると、車係が誘導している。
グランドの中に車を入れて、高原寮の白い建物に入った。
「男声応援団のみなさん、ようこそ。」
寮長さんが迎えてくださった。見回すといつのまにか、10人ほどの男性が集まっている。一緒に練習してきたバスのパートのメンバーだった。
白髪の人たちが何人もいる。


「鐘のなる丘コンサート」がいよいよ本番の日となり、いささかの緊張感がある。
この緊張感は何だろう。合唱を発表する緊張感とは少し異なるものだった。
コンサートにおける合唱団には、聴き手に向かって発表する主体になることから来る緊張感があるが、
今日の僕には、地元小・中学校のコーラス部と、地元の御婦人たちの「鐘のなる丘歌う会」、そして僕ら男声応援団が一緒になって、少年院の少年たちと、互いに歌い交わし一つの歌に解け合い、その交流から生まれてくるものをこそ願いとする緊張感があった。
会場は高原寮の体育館だった。高原寮の少年たちが本番前のリハーサルをやっている。
500席ほどの椅子が馬蹄形に並べられ、ステージ下にピアノが置かれていた。指揮台は馬蹄形の真ん中辺りにあった。
合唱メンバー以外の一般参加者は200人ほどだろうか。
男声応援団は20人、そして寮生の少年たちも20人、
ステージに向かって右側前席に少年たち、つづいて男声応援団が座った。
ピアノ伴奏は、渾身の力を振り絞って、30年間作ってきたこのコンサートの立役者、西山さんだ。


司会は少年たちが行う。「歌はぼくらの友だち」の合唱で、小中学校コーラス部と、「歌う会」の女性たちが入場、
ステージに向かって左側に女性の歌う会と、小中学校生が座った。
小学生は2校のコーラス部、60人ほど、中学生は2校の合唱部、30人ほど、ご婦人の「鐘の鳴る丘歌う会」は50人ぐらい、
女性たちの「早春賦」が開幕を飾った。


次から次へと、歌は溢れた。
「これが青春だ」「若者よ」「君の瞳は一万ボルト」「百万本のバラ」「この広い野原いっぱい」・・・
第二部は、この30年を振り返る、映像を観ながらの回想だった。
30年前に、少年たちを応援するコンサートを作ろうとして動いた地元の幾組かの村のご夫婦がいた。
第一回コンサートは70人ほどで食堂を会場にして行なわれた。
コンサートの意志は受け継がれ、継続してお世話する人たちが生まれた。
少年たちに歌の指導を続けてきた西山さんのような人がいた。
そして第30回、新しい体育館が一杯になるコンサートになった。
コンサートは、少年たちの心に灯を点した。
歌の心は希望を芽生えさせた。


コンサートを支えてきた地元の人たちへの感謝状が、少年たちと寮長さんからひとりひとりに手渡された。
少年たちが手渡す相手の人たちは、もうかなりの高齢者になっている。
このような人たちがいて、歴史はつくられてきたのだと、心にぐっとくるものがあった。
西山さんがあいさつし、少年たちに言った。
「君たちは、わたしの誇りです。」


少年たちの合唱位置の向かい側は女性合唱団の婦人たちの席だった。
男声応援団の向かい側でもあるその席を僕は見つめていて、
婦人たち、それもかなり年配の彼女たちの表情を見ていて、はっと思った。
彼女たちの顔、それは明るい表情と言うよりも、しみじみと少年たちを思う、母親の顔だった。
少年たちの向かいの席は、地元のお母さんたち、少年たちのお母さんそのものだった。


第三部は、全員による混声合唱となった。
指揮台に倉沢先生が立ち、
「道を歩くのは君」「セビリアの春まつり」「ある海の物語」「この地球のどこかで」「HEIWAの鐘」・・・
そして最後の大合唱は、「手のひらをかざして」と「大地讃頌」。
ピアノを弾く西山さんの疲労はかなりのもののように思われた。
30年にわたるコンサートのお世話と少年たちの指導をやってきて、
そして今回も、歌う会を含めた練習をやりきって、
今日もひとりピアノを弾きつづけて。
今回で終わりにしよう、という思いが西山さんの胸に生じたと述べられた。
それもその孤軍奮闘による疲れではないかと、思う。
新しい出発のときが来たのだと思う。


少年たちが、席を離れて今日の合唱応援団と一般のお客さんの前に大きく輪になって立った。
彼らに向かって歌が湧き起こった。
「若者たち」・・・
あらかじめ全員に渡されていた紙飛行機が一人ひとりの手から飛ばされ、会場に舞う。
男声応援団の前に立っていた少年の眼が潤みはじめ、顔がだんだんと上向きになり、天井を見つめている。


湧き上がる魂の交流、えんえん3時間を越す歌の祭典は終わった。
おそらく世界に例のないコンサート。
新しいこれからの出発が、受け継ぐものに託されている。
参加した人たち、心ある人たちに、
受け継ぐもの、新たに創造する者へ。