「国際化」から「民際化」へ



 探検家でもあった文化人類学者の梅棹忠夫歴史学者上田正昭が1999年にこんな対談をしていた。

梅棹 「民族間の紛争というものは、人間の業みたいなものですが、必ずしも歴史全体を通してあったわけではありません。激しくなったのは、ここ数百年のことです。しかし、おそらく二十一世紀の中ごろまでは、人類は民族・宗教紛争に悩まされ続けるであろうと思います。」

上田 「何か解決策はないのでしょうか」

梅棹 「はなはだふがいないことですが、解決策を出すことができないのです。あればとっくに出しています。できることは、たくさんの事実から客観的な学問の立場で、民族紛争がなぜ起こったか、どういう問題があるのかということを的確に指摘するところまでです。その点では、出口王仁三郎師は問題のありかをひじょうに的確に示され、思想的には解決ができているのです。『万教同根』、これだけです。宗教的には『万教同根』で越えられるんです。みなさんが『万教同根』だと納得すれば、越えられるんです。しかし、みなさんそれを納得しません。そこが問題です。人類という一本の木の同じ枝分かれとして、お互い認め合うしか、民族、宗教、文化の違いは越えられない。どうしたらそれを認められるかということです。」

上田 「歴史学の立場から見て、私も民族問題、宗教問題が、二十一世紀に持ち越す大きな宿題になっていると思います。そういう中で人類の平和にとって大切なのは、国や民族を越えた、民衆と民衆の交わりではないかと思います。さらに、民衆相互の理解です。私はそれを『民際化』と呼んでいます。民衆と民衆が、人間として交わっていくのです。……
 宗教学者山折哲雄さんがいみじくも言われました。『行や祈りを通して対話したらどうか』と。神仏に祈る、修行することはあらゆる宗教に共通しています。まさに『万教同根』です。祈りと行で対話する時、宗教の連帯が具体化します。」


 この対談は、「古代史から日本を読む」(学生社)のなかにある。
 国家のイデオロギーや利権で争う「国際化」ではなく、国家の枠を外した地球の民として交流する、すなわち民衆による「民際化」が、今の人類の問題を解決する。そうだと思う。
 今世界を見ると、とんでもない方向に進んでいる。自民族の防御のために他民族を排斥し滅ぼそうとする。自分たちの宗教のために異教を攻撃する。それをあおっているのが国家指導者たち、政治家たちで、民衆は翻弄されている。
 排除や独占の思想で外交を行なえば、必ず破綻する。
 「民際化」の実践と広がりが重要なキーだ。
 中村哲さんたちによる、アフガニスタンでの実践、「砂漠に水路を引き、緑野を生みだし、住民の暮らしを稔らせる」プロジェクトは、アフガニスタンの民衆と日本の民衆による「民際化」の活動、まさにこれだと思う。
 歴史を見ても、人類が世界に広がっていった過程には、国家という束縛がなかった。長い旅をしてきた人類が、今になって「俺らの世界」から敵をつくって、さかんに攻撃を開始している。最悪の事態だ。