ビンガの謎

 

 

岩手を含めて東北は、かつてアイヌ人の住むところだった。柳田国男は、「遠野物語」で、岩手のあちこちの土地名がアイヌ語であり、アイヌの遺跡もあることを書いている。そのことを私の自伝的小説「夕映えのなかに」(本の泉社)に書き込んだが、かつて登山家で、雑誌「岳人」編集などにもたずさわった高須茂は、著書「日本山河誌」(角川書店)に、関東甲信越地方まで、アイヌ人は住んでいたという推理を書いていた。

「夕映えのなかに」には、私がチャレンジした山や川の記録も多く混じっている。黒部峡谷上の廊下の完全遡行と完全下降も書いた。私にとってずっと謎だった、黒部峡谷の「下の黒ビンガ」「上の黒ビンガ」と名付けられていた難所の「ビンガ」という名。「ビンガ」とは何か。それが分からない。両岸壁が高くそそり立ち、その間を流れる黒部川は激流となり、また深い淵となっているビンガ。それをいかにして越えていくか、小説では何度かの失敗を含めて、最後に下降に成功した過程を詳しく書いた。

「ビンガ」の謎。「日本山河誌」で高須茂が書いていた。

 

剣岳の小窓谷入り口に、大きな岩壁がある。ベンケイ岩とも、ベンテン岩とも呼ばれているが、この語源は、黒部川の岩壁がビンガと呼ばれているのと同じだろう。ベンケイも、ベンテンもビンガの転訛である。ビンガはアイヌ語のベンケの変化だろう。アイヌ語のベンケは、『強い、異常な、壮大な、飛び離れた』というような意味を持っている。北陸から関東、東北にアイヌ語が残っているのは、そこがアイヌ民族の故郷だからである。北海道に追い詰められていくアイヌ人が移動した経路は、アイヌ語の残欠をたどって行けば分かる。‥‥ベンケイと言えば、武蔵坊弁慶、この義経の郎党もアイヌかもしれない。藤原三代には、アイヌ人の家臣も多くいたに違いない。」

 

 北陸、甲信越、森と山の広がる中に、先住民アイヌ民族が住んでいた。そこに倭が王権を確立し、アイヌを北に追い、支配を広げた。そしてそこにまた朝鮮半島から新たな渡来人、高麗、百済新羅などの民がやってきて倭人とともに国家を形成していったのだった。