「歌集 小さな抵抗  殺戮を拒んだ日本兵」<2>

   天皇(すめらぎ)の赤子(せきし)の軍になぶり殺しうくるとも吾(あ)は踏みたがうまじ

 ありとあらゆるリンチをうけて、良三は思う。兵は天皇の子どもだと称し、天皇軍国主義将兵・軍を鼓舞した。その天皇の軍によって、自分はなぶり殺しにあいつつある。たとえ殺されても自分は道を踏み違えまい。
 捕虜を新兵の訓練に殺すことを拒んだ兵への虐待、そういう状況を中国の村人は見ていた。そして良三の心に応えていくのである。

   柔らかにもえ立つ春の陽だまりの村人の微笑(えみ)に救い覚えつ

 良三は、それ以後「危険思想の持ち主」「軍の余計者」として部隊を転々とした。徐州の部隊に移ったのは1945年春だった。街の中に宋代の詩人の詩碑があった。良三がそれを読んでいると、一人の老人が声をかけてきた。
 幼児が遊んでいた。その子らの耳だれがひどかった。なんとか治療をしてやりたい。良三は子どもと約束する。またやってきて治してやるからね。そうして子どもらと接しているうちに、笑顔で寄ってくる子も出てきた。

   おごりとも愚かというもこの小さき生命の病むを捨ておけぬなり

 ついに敗戦がやってくる。部隊は武装解除され捕虜の立場に転落した。上官は戦犯の嫌疑がかけられ、引かれていくものもあった。


   敗戦を徐州に迎う生命賭けいつわらざりし生きの日ののち

   復員の見込みを問いし士官いま戦犯指名にひかれゆきたり

   戦犯の名指しふえつつ日と共に士官の目見(まみ)の深むおののき

   戦犯指名を恐るるならむ強姦(おか)せしを誇りいし古兵は口を閉ざしつ


 反戦兵の良三にとってはやっと心の休まるときの訪れだった。そして父を想う。父の予言は当たっていた。


   国敗れ始まる世かも漸くに反戦兵の胸ふくらみ来

   父の予言「無条件降伏」的(まと)を射ぬ待ちどおろしも再会の日の


 故国へ帰るのを待つ間、耳だれの子らを治してやった町の郷長がやってくる。日本軍は中国人から「日匪(にっぴ)」と呼ばれ、現地人にとっては日本は侵略してこの国を盗ろうとしたものだ。にもかかわらず、一人の日本兵へ謝辞を述べるために郷長はやってきたのだ。その深い心に良三も頭を垂れた。


   客ありて案内(あない)を受けぬ立ちたるは子らをいやせし町の郷長

   敗戦の日匪(にっぴ)おとなう郷長の心ひろきに額(ぬか)深く垂る


 いよいよ復員列車に乗って港へ行くことになった。列車が発車する時だった。耳を治療してくれた良三に感謝しお別れしようと、子らがやってきて、「再見!」「渡部(トウベエ)!」と叫んだのだ。一人の幼児は、この時のために、かわいい服を着てやってきてくれた.


   徐州市ゆ復員列車に乗る日来ぬ子ら走り出で「再見!」「渡部(トウベエ)!」

   幼らは指さしつつ添い走る埃の中に兵の名呼びて

   耳だれを癒しやりたる幼(こ)のひとり今日は愛(め)ぐしき衣まといおり


 日本に帰る良三ら兵たちは、長江左岸にテントをはって、復員船を待った。川のほとりの臨時捕虜収容所である。中国政府から食料は支給されたが、量は少なく、兵たちは川でシジミをとり、魚を釣って不足を補った。
 「日匪」という言葉の意味を天皇や国家の中枢にいるものは知っているのだろうか。日本軍の侵略に抵抗する中国の民衆兵を日本軍は、「匪賊」と呼んだが、「どろぼう」は侵略者の方ではないか。しかるに上官たちはその責任と罪を感じることなく、武装解除され捕虜収容所に入れられてもなお将校として振舞おうとする。その愚かさも感じられない者たちを良三は詠う。


   日匪なる言の意をしるや天皇(すめらぎ)も大臣(おとど)も極むこの蔑みを

   残虐を虚妄の権力(ちから)に楽しみし将等ゆるせずされど術なし

   敗戦の責任(せめ)なきさまの振る舞いの階級章なき将の愚かさ

   北支派遣の総大将はとうのはて逃げ帰りしか噂広まる


 良三は故郷に帰った。故郷では、父が思想犯として捕らえられ、家族は村人たちからひどい差別を受けていたことを知る..
 「近郷の町村民はあげてわが一族を『米英のスパイ一家』と名指しし、時の町村長とその家族が先頭に立って、すさまじいまでの差別、村八分を行なった。食料と衣料の差別は甚だしかった。ゼロのこともあった。にしんの配給を受けに出向いたところ『スパイの家にはこれだ!』と、にしんの入っていた空き箱を足蹴によって指し示された。」


   生命賭け捕虜虐殺を拒みしがいそのかみ旧(ふ)りしこととなし得ず


 「いそのかみ」は「古」にかかる枕詞であって特に意味はない。わたしは命をかけて捕虜虐殺を拒んだが、それは過ぎ去ったことだ、昔のことだというようなことはできない。このことは今のこと、現代のことであるのだ。
 今、戦がおこり、若者が戦場に送られたとする。そこで「殺せ」と命じられて、拒絶することができるだろうか。圧倒的な力が、戦争へ国を持っていこうとした時、民一人として、「戦うな」と胸張って拒否することができるだろうか。