国分功一郎の警鐘:平和主義も個人主義も理解されない「言葉の失墜」と呼ぶべき事態

 国分功一郎の寄稿を今朝読んだ。(朝日)
 彼は哲学者である。こんな論だった。(要旨)
 <戦後日本の憲法学を牽引してきた学者たちの言葉はどこか文学的だった。憲法学者の言葉が広く読まれてきたことは戦後日本の特徴かもしれない。どうして憲法が文学と関係を結ぶのだろうか。それはおそらく何らかの物語を必要とするからだ。だからこそ憲法学者たちは専門的・技術的な論議だけに甘んじなかった。おそらく戦後の日本では、この感覚に匹敵する強度をもった平和主義の物語を紡ぎ出さんとする文学的な試みに、憲法学者たちが身を投じてきたのだ。
 戦後日本の憲法が訴えてきた価値の代表が平和主義と個人主義である。だが、9条を読んだだけでは平和主義の意味など分からない。13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とあるが、ただ「個人」と言われてもピンとこない。
 かつては身分制があり、軍事と密着した社会があり、更には家制度があった。そうしたくびきからの解放があって初めて個人は存在する。個人はあらかじめ存在せず、解放によって生まれる。そして性差別の現存などから明らかなように、その解放はまだ十分ではない。このような物語があって初めて人は「個人主義」の価値を理解できる。そして価値を共有しようとする人々の志によって憲法が生きる。憲法学者たちはこのことに意識的であった。それが彼らに緊張感をもたらし、その筆致は文学的なものにまで高まった。
 平和主義について言えば、価値を支えていたのはむしろ「あんな戦争はもうイヤだ」という感覚であったと思われる。感覚は大切であるが、それだけでは理解は生まれない。だからこそ憲法学者たちは専門的・技術的な論議だけに甘んじなかった。おそらく戦後の日本では、この感覚に匹敵する強度をもった平和主義の物語を紡ぎ出さんとする文学的な試みに、憲法学者たちが身を投じてきたのだ。そして、それはある程度成功していた。
 いま憲法論議が盛んと言われる。だがそうだろうか。私には論議が盛んなのではなくて、単にこれまで憲法を支えてきた物語が理解されなくなっただけに思える。というよりも、文学的な言葉によって紡ぎ出される物語そのものを人々が受容できなくなった。
 いまよく耳にする「世界には危険な連中がいるから軍備が必要」というタイプの「改憲論」は、価値を共有するための物語ではない。ただ感覚に訴えているだけである。いまはそれが有効に作用する。しかも、それに反対するかつての感覚はもう失われている。
 それ故であろう。「護憲論」の側ももはや物語を紡ぎ出すことに力を注ぐわけにはいかず、「9条があったから戦争に巻き込まれなかった」という安全を訴える主張を繰り返さざるをえなくなっている。「護憲論」も感覚に訴えているのだ。私はこの主張の内容は正しいと思う。だがそれは憲法の価値を共有するための物語にはなりえない。それどころか、場合によっては、自分たちだけが助かろうとしているという風にすら聞こえてしまう。
 現代の日本において、文学的に紡ぎ出される物語はもはや有効に作用しなくなっている。だから平和主義も個人主義も理解されない。これは端的に「言葉の失墜」と呼ぶべき事態であろう。言葉が失墜した時代に、日本国憲法が掲げてきた高度な価値をどうやったら共有できるのだろうか。またそれを踏みにじろうとする勢力が現れた時、どう対応すればよいのだろうか。
 いまの時点でできることを精一杯やるしかない。だが、「いまの時点でできること」に甘んじてはならない。そうでなければ、早晩、憲法は死んでしまうのである。>

 国分功一郎が言う「言葉の失墜」と呼ぶべき事態、たしかにそうだと思う。「あんな戦争はもうイヤだ」という感覚を体験を通じて持っている世代は、もうあと何年か経てば日本にはいなくなる。何年か経てば、戦争も侵略も、からっぽの言葉で表されるだけになる。だからこそ、体験した世代の物語が教育の中でも継承されなくてはならないのだが、それが目に見えない規制に拘束されてスポイルされ空洞化している。書物や映画や体験を持つ人から話を聞くなどして追体験することが必要なのだが、日本ではこれが決定的に欠けている。欠けた人が政治を動かしているし、教育に携わっているから、体験はなし、追体験もなし、ただ感覚だけという世代が、広がってしまった。感覚だけだから憲法論も空論になる。空論の話に空論で応じるだけ。
 ドイツ・ミュンヘンに住むジャーナリスト熊谷徹が「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」という本を出している。
 「ナチスによる迫害を体験した人の数は、時と共に減っていく。将来、生き証人がいなくなったときに、過去との対決をどのように続けるかは、ドイツ人にとって重要な課題である。『もうそろそろ過去にこだわらなくてもいいじゃないか』という誘惑はドイツにもあるからだ。この誘惑に対抗するための試みの一つが資料館の建設である。」
 そこでミュンヘンのかつてナチス党本部「茶色の館」があった場所に、ナチス問題の大規模な資料館が2015年に建設された。
 資料館では、ナチス前後の三つの時代を表している。ナチスによる独裁時代だけでなく、前後に継続する百年に渡る歴史の展示である。

(1) 一次世界大戦後、小党が乱立し、ナチスへと向かった時代
(2) 人種差別と独裁政治による恐怖の時代
(3) 戦後、再建の時代から現在に至るまで、ナチスの過去とどう向き合ってきたか