日野原重明さんが先日書いておられる記事は、安曇野の鳥居山荘での集いの話だった。
毎年そこで開かれる名古屋聖書研究会の「夏の集い」に、日野原さんは今年も参加しておられた。山荘での集いの夕食に大好きなトウモロコシが出た。日野原さんは塩を少しふって食べようと思い、「ちょっとお塩を」と言うと、そこに小塩節さんがおられた。思わず二人は顔を見合わせて笑ってしまった。小塩節さんはその会で、「モーツァルト 生涯の環」という感銘深い話をなさった。日野原さんはその話にぐんぐん引き込まれた。その話に続いてモーツァルトの「魔笛」のアリアを、神谷徹さんがストロー笛とリコーダーで演奏した。絶妙な連携だった。
ぼくが驚いたのは、小塩節さんがお元気で、この夏、安曇野に来ておられたということだった。偶然小塩節さん著の「旅人の夜の歌 ゲーテとワイマル」(岩波書店)を読んでいる最中だったから、そこにも「環」のようなものを感じた。
小塩節さんは1931年生まれだから85歳になられている。日野原さんは100歳を越えておられる。そしてなおも安曇野に来て、研究会に参加しておられる。
小塩節さんが「旅人の夜の歌 ゲーテとワイマル」を出版されたのは2012年だ。
ワイマルは、バッハ、ゲーテ、シラー、ニーチェなどが育ち活躍し、文学、音楽、哲学、演劇、映画、自然科学の花開く文化都市の公国だった。人が人らしくあるヒューマニティの地だった。そして王政は平和裡に市民の議会制に移行し、当時の世界で最も民主主義的な「ワイマル憲法」を制定する。ところがそのワイマルは、20世紀に入ると民主制を利用したヒトラーが台頭しナチの舞台となった。そして第二次世界大戦に突入、ワイマルにはブーヘンヴァルト強制収容所がつくられ、ユダヤ人をはじめ多くの人びとを抹殺する地獄が始まる。
ドイツが降伏しナチが滅ぶと、次にソビエト軍が入って、ブーヘンヴァルト強制収容所はソビエトの強制収容所となり、ナチスや反共主義者を収容し弾圧する所となって6年間続いた。
天国から地獄への繰り返し、この変化、人間の転落はなぜ起こるのか。
ゲーテ(1749〜1832)はその公国で政治の要職につき活躍した。小塩節は、ゲーテがつくった二つの同名の詩「旅人の夜の歌」を元にして、ゲーテとワイマルについて、そしてゲーテ没後のドイツの「さすらい」を考察している。最初の詩は、ゲーテがワイマルに来た26歳の時の作、もうひとつのは4年半経って、ゲーテが行政官として活動していた時の作。詩を小塩節は次のように訳している。
二つの「旅人の夜の歌」の最初の詩。
旅人の夜の歌
おんみ 天より来たり
すべての痛みと苦しみを鎮めるものよ
重なる悲しみの深き者を
慰めを重ねて満たすものよ
――ああ われ人世のいとなみに疲れ果てぬ
痛みも楽しみも すべてそも何――
甘美なる平安よ
来たれ ああ来たれ 我が胸に
二つ目の詩。
旅人の夜の歌
峰々に
憩いあり
梢を渡る
そよ風の
跡もさだかには見えず
小鳥は森に 黙(もだ)しぬ
待て しばし
汝(なれ)もまた 憩わん
初めの詩には150曲、次のには200曲の調べが付いていると小塩さんは言う。特によく歌われるのはシューベルトの曲である。ユーチューブを検索すると二つ目の歌が聴ける。歌手ハンスホッタ―の「さすらい人の夜の歌」は心にしみる。次のように訳されている歌詞があった。
さすらい人の夜の歌
すべての山の頂に
安らぎがある すべての梢に
お前はほとんど感じない その息吹を
森の小鳥は黙している
ただ待つのだ ただ待つのだ
すぐにお前にも 安らぎが訪れる
ただ待つのだ ただ待つのだ
すぐにお前にも 安らぎが訪れる