国民の知らないところで進められていること



 秀さんが田植え機で稲を植えていた。速い速い。時速6キロぐらいのスピードで、10条ほどの苗が植わっていく。昔、家族総出、さらには親族から地域共同で、水田に一列に並び、手植えしていた時代は一日がかりだった面積も、今や数十分で終わってしまう。
 スズちゃんのおばさんと立ち話、
「あぜの雑草は、昔とだいぶ違いますねえ」
 イネ科の牧草が増え、実をつけている。これがあぜに入り込んで繁茂する。
「昔は、こんなにぼうぼうと生やさなかったですねえ」
 草刈り機で刈ってあるあぜや、除草剤が撒かれているあぜよりも、まったく刈られていないあぜが目立って多い。
「手鎌で刈っていた時代は、あぜの草はきれいに刈られていましたねえ」
 その時代は、なにもかも手作業で重労働だった。それにもかかわらず、農家はせっせと草を刈った。今は道具が発達し、機械化、合理化が進み、田んぼは米を採ること一本で、ときどき見回るだけになってしまっている。

 人間の暮らし、それはほとんど目の前のことがらで一日が終わる。政治の状況、社会の変化は遠くのこと。暮らしに無縁なことではないけれども、ほとんどの市民は政治に直接かかわることはない。政治に参加するという主権者意識はかすんでいる。
 さらに格差社会になって、弱者、低所得者の暮らしが深刻になっていても、政治家たちの耳には、庶民の苦悶はごまめの歯ぎしりにしか聞こえない。簡易宿泊所の火災で9人の孤独な高齢者が焼死した。
 憲法はどうなる? 平和は? 教育は? 医療や福祉は? 日本の農業は? 
 庶民につながる情報は細ぼそと、それをテレビや新聞で得ても、それらが伝える偏頗な一部分のもっと奥に知らされない隠し事がある。

 39年前に、作家の中野重治がこんなことを書いていた。1911(明治44)、幸徳秋水無政府主義者24名が天皇暗殺を企てたとして捕らえられ死刑判決を受け、12名が死刑に処せられた大逆事件のこと、そして1933(昭和8)年、特高警察に拘束され拷問を受けて殺されたプロレタリア作家の小林多喜二のこと。

「いったい私は、戦後も入れて、幸徳事件当時の日本を文学に写したものがどの程度あったか、あるか、よく知っていない。小林多喜二が殺されたとき、東京帝大、慈恵大なんかが解剖を拒否した。あのとき、古河力作の遺言による屍体解剖を、帝大が確かに引き受けておいてことわったこと、あれを一般には思い出しさえしなかった事実は、そのままで今に来た形がある。」

 一般の人は知りもしなかったこと、知らないままに今に至った。そういう過去からの構造は連綿と今に続く。
 警察は死因を「心臓麻痺」によるものと発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がっていた。どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断ったのだった。幸徳事件で処刑された古河力作は、解剖研究用に自身の遺体を寄付することをそれ以前に遺言書に書き残していた。だから東京帝国大学法医学はいったん引き受けたのだが、結局遺体の引き取りを拒否した。古河力作も冤罪で殺され、死後の人権も否定された。
 小林多喜二の場合、遺体を解剖すれば、特高警察が何をしたかが分かる。解剖拒否の処置は、真相を隠ぺいすることだった。古河力作の遺体解剖拒否は、それを行なうことによって、大学教授たちにどのようなバッシングが来るかわからないという危惧があったと推察されている。こうして奥に隠されひそんだ情報は、長く知られることがなかった。このような状況は戦後社会の現在にまで続いている。強大な権力構造のあるところには、必ず憲法無視が胚胎する。
 中野重治は、またこんなことを書いている。ベ平連を立ち上げた作家の小田実の言のことである。

 「小田実の言葉を思い出す。『憲法があるからこれこれと言うのではない。書かれた憲法憲法にしかじかと書かれているという事実、それはそれだけのことで何でもない。ただ、書かれている憲法、これを使って進んで身を守る。それを使って自分でたたかう。それによってだけ憲法が現実のものとなる。それを使ってたたかうことによって、書かれた憲法の文句が実物となっていくのだ。』 私は感心して賛成している。そこで実地にはどうか。それがむき出しに露骨に出てきたのが『浅間山荘事件』のときだった。
 (事件報道を)テレビが国会も何もふっとばしてぶっ続けにやる。新聞がぶっ続けに書きたてる。(それら報道を見ているうちに)なんで人はこのことを言わぬのかと思ったことがあった。
 五人が逮捕された。五人が高手小手にくくられてといった形で出てくる。もうふらふらで、自分の首がささえきれぬ。がくりとなる。それを、いきなり巡査が後から髪をつかんでぐいと引く。まわりのやじ馬が、『この人殺し‥‥』『やっつけてしまえ‥‥』と叫びをあげる。警察側が、思う存分『さいなむ』形に出る。それがいっそう見物をそそる。降伏した者、逮捕されて武装解除されたものを、完全重装備の勢力が報復的にさいなめばさいなむほど、まわりの群衆がそそりたてられて、『もっとやれ‥‥』『もっとひどくやれ‥‥』と興奮する。テレビがそれをかきたてる。
 それは言葉どおりに憲法違反だった。『公務員』の犯罪だった。彼らは『憲法尊重擁護の宣誓』をしていた。」

 犯人Bの家族に矢のように脅迫状、脅迫電話がかかってくる。Bの父親が自殺する。「死んでおわびします。あとに残った家族を責めないでください」と遺書をのこして。

 「恐ろしいことが行われ、おそろしい条件が刻々に積み上げられている。憲法学者がひとことの警告も発しない。天下の『赤旗』もこれを見送っている。それは、これを歓迎しているということに近いことにならないか。
 おそろしいことである。リンチとポグローム(組織的迫害)とが、政府、警察、ジャーナリズムの共同行動で教唆されている。」

 昨日の記事、長谷部恭男(早稲田大教授)と杉田敦(法政大学教授)が対談している。

 杉田 「安保法制の問題を突き詰めていくと、最後は、政治を信用できるかという問題に突き当たる。戦前の『無責任の体系』は、戦後日本において払拭されたのか。原発事故などを見る限り、懐疑的です。国の存立にかかわる重大な判断を委ねてしまえるほど、政治を信頼できるかという思いがあります。」
 長谷部 「立憲主義は、たとえ民主国家であっても、政治家の判断は完全には信頼できないとの前提に立ちます。戦争について言えば、いま世界のどこに信頼できる国家があるでしょうか。米国は、軍事介入した中東各国を軒並み大混乱に陥れて、それが過激派組織『IS』が跋扈するきっかけにもなっている。権力をポジティブリストで抑制的に運用する戦後日本のプロジェクトの意義を、改めて見直すべき時期ではないでしょうか。」(「朝日」)

 民主主義国家であると自任する日本の権力構造の幕の後で、国民の知らない隠された動きがあり、思惑があり、その秘密のベールを解き放とうとする市民の健闘や、ジャーナリズムの動きが充分機能しているかどうか、今の政治状況はその機能の弱体化を突いて現れてきているように思える。