不整脈


 夜中に目が覚めた。なんとも名状しがたいこの感じ、苦しくはないが正常ではない、胸のあたりにぼやんとくる不快な圧迫感。不整脈だな。脈を診るとやはり脈が跳ぶ。
 ここ三年ほど不整脈は克服したと思っていた。去年は蝶ガ岳、一昨年は常念岳にも登った。最後の登りは青息吐息だったが、ともかく登った。毎日一時間以上のウォーキングもしている。ところが半月ほど前、またやってきた。二十ほど脈を打つと一回休みになるかと思えば、ドキ ドキ ドキと三回脈を打って四回目は脈なし、脈が跳ぶときはなんとなく分かる。いやな感じだ。三年前に診てもらった医師の処方箋にもとづいて薬局で購入した薬が残っていたからそれを飲んでみた。が収まる様子がない。心房細動が原因で血栓ができると、それが脳の血管で詰まったりして脳梗塞になると聞いていたから、不安になって病院へ行き、主治医に診察してもらうことにした。けれども、いつものことながらその診察も、心電図をとってから触診になると脈に不正常が現れない。医師いわく、「ここに来ると、よく収まるんですよ。まあ様子を見ましょう」、というわけで帰ってきた。
 それからしばらくして症状は収まった。そして一昨夜また現れた。痛いとか苦しいとかはないが、体の微妙な変化で目が覚める。いささか気分が穏やかでない。なんとか正常を取り戻そうと、そのときは眠ることを考えた。疲労かもしれない。そして眠った。
 翌朝、ランとウォーキングに出た。野は今、田植えが進行している。かわいい子稲が水面に頭を出している田がある。水をはり田掻きもすんで、これから田植えを待っている田がある。
 何が美しいかと言って、この時季、各種の花々とともに、木々の芽ぶきほど美しいものはない。家の屋根よりも高く枝を張った樹の新緑は、みなぎる生命の気を発散している。歩いて行くと、昔は雑貨店を営んでいたのだろう空家がある。だれも住まない家の玄関に植えられた藤の樹が、家の入口をふさぐように白い花房をしたたらせている。
 我が家の庭のモッコウバラが咲きだし、アメリハナミズキが満開だ。ライラックも香っている。清少納言が「樹は桂」と書いたカツラの樹は、苗で買ってきたときは腰ぐらいの高さだったが、それがぐんぐん育ち、今は5メートルほどにも伸びて枝を広げている。カツラは大木になる。ぼくが講師をしている学校の校舎横にカツラがあり、それは校舎の三階の窓からのぞいても、まだ上に伸びて、ハート形のかわいい葉を無数に付けて枝を広げている。
 朝の道、チャコとチコを連れて散歩しているMおばさんに会った。
「昨夜、不整脈が出てねえ。今朝は距離を短くしてコースを変えましたよ」
「そうかね。不整脈出たかね。前に、帯状疱疹になって不整脈が出たと言ってたことがあったねえ」
 そんなこと言ったかなあ。聞いたおばさんは覚えていて、言ったぼくは忘れている。おばさん、記憶がいいなあ。そう言えば思い出した。そのとき、おばさんは二度も帯状疱疹になったことがあったと言ってたなあ、ストレスがよくないと言ってた。ぼくの帯状疱疹不整脈も、精神的ストレスがなんらかの影響を与えているのかもしれない。
 会話は、循環器の医院のことや診察のことになった。おばさんが言う。
不整脈は老人病だでね。老人になったら出るね。うちの旦那も不整脈だいね。薬を飲んでるよ」
 そういえば、国立循環器センターのインターネットの情報でも、不整脈は老人に多いと書いてあった。老いていけば体のどこかに変化が起こってくる。それは病気という現象に現れることだけれど、順調に生命の勢いが衰退していくことでもある。
 庭に移植したブナの苗樹が、10年前はすごい勢いがあったのに、3年前から急に不調になり、とうとう今春、新芽を吹いていながら芽は開かず枯れていた。死は突如確実にやってくる。
 ゴールデンウイークは、薪置き場づくりだった。建築の廃材置き場から古いコンクリートブロックをもらってきて、セメントをこねて基礎をつくり、穂高の大工さんがトラックで運んできてくれた10センチ角の古い角材を柱に、ほぞ穴をのみで開け、今日合成樹脂の波板を屋根にふいて完成した。こげ茶色の防腐塗料を塗って、がっちりと工房横に建っていて、なかなか見栄えがいい。
 大池さんからもらってきたトマト苗とカボチャ苗も植えなくてはならない。もう遅霜は来ないだろうと予測して。