今、日本はどこに向かっているのか


 今朝、野歩きでカッコ―の声を聞いた。今年初めての声、五月野の緑のしじまに、カッコ―の声は遠くまでとどく。
 憲法記念日に、石川健治(東大教授・憲法学)が、清沢洌(きよさわきよし)のことを書いていた。
 明治の時代、小学校教師だった井口喜源治が穂高につくった小さな私塾のような学校、研成義塾で清沢洌は井口喜源治の薫陶を受けて育った。研成義塾を支援したのが地元の養蚕農家だった相馬愛蔵、後に新宿中村屋をおこした。支援者のなかに、内村鑑三、木下尚江らがいた。二人につながって幸徳秋水田中正造片山潜という思想家・活動家がいた。1898年(明治31 )から1938年(昭和13年)井口喜源治が亡くなる年まで、研成義塾の卒業生は800名近くにのぼる。自由主義者の外交評論家・清沢洌も卒業生だった。
 清沢洌アメリカと日本の架け橋たらんと、太平洋戦争に反対した。彼の書いた日記、「暗黒日記」には率直な戦争批判が書かれている。
 石川健治は、現代の政治状況を「この道はいつか来た道」であると、かつての戦争を振り返るために、北岡伸一の著書「清沢洌 外交評論の運命」(中公新書)を取り上げている。
 最近、既成事実を作りさえすれば、なし崩しで事が運ぶように政治が動いている。あの暗黒の時代に、清沢洌は、どのように時代を予見していたか。
 清沢洌は、外交関係を単純な構図で一元化することを批判し続けた。欧州と南米とアジアとでは異なる外交原則で臨む米国に対しては、その矛盾をつく外交によって対処すべきというのが彼の持論だった。ドイツ、イタリアとの三国同盟路線にのめりこんで外交関係が一元化されてしまえば、日本は必ずや欧州の対立構図に巻き込まれて対米開戦を余儀なくされると見ていた。清沢洌の卓見どおりに歴史は動いた。 
「なし崩しに膨張するのは権力の常。これに歯止めをかける人類の智恵が立憲主義である。20世紀に入り、ソ連がそして独伊が立憲主義を否定し、日本がこれに続いたが、結果は悲惨なものであった。」
 戦後、日本は立憲主義日本国憲法によって定着させた。しかし今日本は、改憲論議によって立憲主義そのものを押し流してしまいかねない危機にある。現政権は立憲主義の軌道から外れつつある。80年前、立憲主義憲法学は弾圧され、天皇機関説を説いた美濃部達吉貴族院議員を辞職した。その年は、日本の政治から立憲主義のタガが外れた年であった。ここから敗戦まで10年、その間、政府批判の言論は封殺された。
 「冷ややかに観ていた在野の清沢洌も、あっという間に言論の自由を奪われた。すべては立憲主義の軌道を外れたことが原因だ。本年が、80年前と同様の記念年として記録されることのないように、政治の行方を注視したい。」
 このように石川は現代を見つめている。
 4月30日の朝日新聞に、安倍首相のアメリカ議会での演説全文が、英語と日本語で掲載されていた。この演説にアメリカ議会は喝采を送った。しかし日本国民はこの演説を注意して読み返さなければならないと思う。言葉巧みに、高揚感をもって述べられた言葉から何が読み取れるか、今そのことをやってみようと思う。
 そして日本を観る多様な眼、世界を観る多様な眼から、現代をとらえたい。安倍の演説をしっかりと洞察する眼に注視したい。
 5月8日、アメリカ歴史研究者たちの声明の全文が掲載された。その後半部分にこうある。

<「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。
 「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。
 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。
 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤(てんびん)に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。
 多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、いまだに難しいことです。第2次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに40年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに1世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、19・20世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。
 今日の日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利を価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、第2次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役人の中には、倫理的な理由からこれに抗議した人がいたことも事実です。しかし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的な犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本人自身も多大な苦しみを被りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。
 今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。>