桜の命、アリの命、人間の命


 冬の寒気と春の暖気が、気まぐれに入れ替わり立ち替わりやってきて、
春の到来を待って出てきた生き物たちを翻弄する。
 キアゲハが、出てきたとたんに、氷点下の寒気が襲った軒下で動けなくなっていた。太陽が昇り気温がぐんぐん上がる10時ごろ、キアゲハを日の当る所においてやった。しばらくして行ってみると、置いてやった草の上には姿はなかった。

 一気に桜が開花した。二三日そこを通らなかったら、いつもの道も景色が変わっている。
 梓川上高地から出て、谷間を下り安曇野に出てくると、流れが広くなり、その川堤に桜並木がこつぜんと出現する。
 こんなところに桜並木があったっけ、
 花が満開になってその存在がわかるということなんだなあ。

 いつものウォーキングコースの道際に、
 おうおう、見事なり、おまえ、一本の桜よ、
 こんなところに、今、この数日間、一年のすべてを凝縮して、
 おまえの存在の価値を示して余りある、
 満開の桜よ、
 燦爛と輝け‥‥


 ツクシの群落があった。
 「土筆」と漢字で書く、そのとおり、土色の土から生えた土の筆そのもの。おまえの存在に気づく人はどれだけいるだろうか。ひっそりと並び立ち、おまえたちは悟りの境地‥‥

 スイセンは、今の時期、確実に株を増やして、
 くっきりと、その清楚な姿を庭に現し、
 枯れ色の庭をいろどる、誠実そのものだ。

 イワオさんが持ってきてくれた桜の枯れ木の、これはどうにも薪ストーブにも入らない根株の部分を畑で燃やした。木灰は野菜のいい肥料になる。枯れた幹の切断面にはいくつも穴が開いている。それはアリや虫たちのすみかだ。火が燃え、どんどん火勢が強くなると、穴からアリが次々出てきて、右往左往する。平和な暮らしが、人間によってたちまち火炎地獄になった。ぼくはしゃがんで火の熱気を感じながら、残酷な人間を自認し、アリを救出することをしないで、観察していた。桜の木は、熱を帯び、炎の熱気も近づいてくる。アリンコの住んでいた穴からぞくぞくと出てくる、けれども逃げ場はなく、また穴に逃げ込むが、穴の奥から火が近づいているから、また出てくる。
 それからしばらくその場を離れ、30分ほどして行ってみると、まだ数匹のアリが幹の切断面を走り回っていた。翅アリもいる。多分そこは80度ぐらいの温度になっているのではないかと思いながら、真夏の炎暑のアスファルトの上を平気で歩くアリという生き物の、7、80度の温度なら耐える力をもっているであろう適応力に感嘆していた。
 残酷な人間。
 人間は自分の都合で行動する。そのことを自覚しながら、そういうものだと受け入れている。そういう生き物だから、戦争というものを克服することもできず、自然破壊・環境破壊もとどまることを知らず、いずれはそれら人間の業のもたらすもので滅亡するかもしれない、と思いながら‥‥
 また30分そこから離れ、次に行ってみると、アリたちの姿はなかった。かろうじて樹の断面から転げ落ちたアリたちだけ命拾いをしていた。