ヒバリ、スズメ、ヒヨドリ、カラス


 ひさしぶりに初ヒバリ。
 朝5時半からランとアルプスあずみの公園まで、ゆるやかな坂を上っていった。3寸ほどに伸びた、公園手前の麦畑から、一つの黒点が細かく羽ばたきながらまっすぐ上空に上っていく。さえずり声はヒバリ。なつかしのヒバリだ。たった1羽。天の井戸へ水汲みに上がっていく。確か去年見たのもこのあたりだった。また今年も出会えた、たった1羽の孤独なヒバリ。
 子どもの頃は、ヒバリは春の田園にいくらでもいて、営巣していた。ヒバリ、スズメ、ツバメは、人間の暮らしに身近な小鳥、けれどもヒバリは絶滅危惧種になったのではないかと思えるぐらい、出会うことがない。巣づくりが麦畑、地面の上という条件が、繁殖を困難にしたのだと思う。昔は麦は米とともに自作し国産だった。大麦は米に混ぜて麦飯になり、庶民の米飯になった。小麦粉はうどん、パン、団子などになった。今小麦粉は輸入が多い。国内産小麦はおよそ15%、残りは外国産。アメリ力約6割、カナダ約2割、オーストラリア約2割。このあたりの栽培麦は、麦茶になりビールになる。しかし栽培面積は極少。だから巣作りもわずか。
 空に舞い上がったヒバリよりも上を、一羽の小鳥が北の空へ一直線で飛んでいった。なんという鳥だろう。仲間がいない。たった1羽の飛翔を見ていると、寂寥感がわく。
 下へ下りてくると、小学生が二人登校していくところだった。体の大きな子と小さな子、年長の子はぼくらを待って立ち止まってくれた。
「おはよう」
「おはよう」
「6年生になった?」
「ううん、5年生」
「そうか、5年生か」
 この子は幼児のころからの顔なじみ、前庭にブルーベリーを植えてある一軒家で、一人遊びをしていた。小学生になってからときどき登校時に話をすることがあり、お兄ちゃんになるにつれてぼくらに親しみを感じ、会話するようになった。年少の子は、初めて見る子で、あまりしゃべらない。
「ヒバリ、知っている?」
「知らない」
「へえ、知らない? まっすぐ空に飛びあがって、ピーチクピーチク鳴く鳥だよ」
「ハハハハ」
「ヒバリを知らないのかあ。ツバメは知ってる?」
「うん、ツバメは家に巣をつくったことあるよ」
 知っている鳥を聞いたら、カラス、ツバメ、ハトと言う。
ヒヨドリは?」
 名前を知らない。
 
 10年前に木製の自分で作った郵便箱のなかに、3日前、ワラが1本入っていた。それを取り除いた。翌日ワラ屑が10本ほど入っていた。こりゃ、どういうことだ? それを何回か繰り返した。ワラ屑が入っているのを見ると、取り出して捨てていた。
 てっきり小鳥の巣づくりだ。郵便ボックスを小鳥の巣にするつもりだな。そういうわけにはいかないよ。小鳥は郵便物を差し入れるところが巣の出入口にぴったしだと思ったらしい。それにしても、ボックスは人間の胸ぐらいの高さだよ。こんな低い、人間が歩くところに巣を作る小鳥はなんという鳥だろう。人間にいちばん近いのはスズメだから、スズメかもしれない。以前物置にセグロセキレイが巣を作り、2羽のひなをかえしたことがあったから、セグロセキレイかな。これはまだ証明できていない。

 ヒメコブシの花はとうとう、大食漢ヒヨドリにすべて花弁が食われてしまった。初めは追っ払っていたが、途中からほうっておいた。だから食べ放題。
 カラスのカンザブロウは、畑をスコップで耕しているとやってくる。カエルが跳び出してきたりするから、獲物をねらって来るのはカンザブロウ1羽だけ、まったく安心している。2メートルほどのところに来て、首をかしげてぼくの作業を見守っている。畑の道を夕方帰っていくロシア人のようなご婦人がいる。
「あれ、よくなれてるじゃん」
と、「じゃん」言葉。慣れているというなら、彼慣れてる。こういう関係になると、カラスもかわいい。