虫と遊ぶ


 信州には、イナゴのつくだにや、ジバチの幼虫のつくだにがある。ジバチは黒スズメバチで、その巣を見つけてきて、幼虫をとる。この食文化を維持してきた高齢者がいなくなれば、これもそのうち消えてなくなるかもしれない。
 虫と人間の関係は、とみに薄くなった。かつて子どもの世界では、虫は遊びの対象であったが、今は虫は駆除の対象としか見られない。人気のあるのは、カブトムシとクワガタムシぐらいだ。
 ぼくの子ども時代、虫は遊びの対象であったし、暮らしの中の親しい生き物であった。
 身の回りにいて、身近だった虫をあげると、
「トンボ、ヤンマ、ホタル、カミキリムシ、クモ、カマキリ、バッタ、イナゴ、チョウチョウ、アリジゴク、アリ、セミ、マルムシ、テントウムシ、ムカデ、ゲジゲジ、コメツキ、ゲンゴロウ、フウセンムシ、ユウビンヤ、アメンボ、ミズスマシ、ミズカマキリタガメシャクトリムシタマムシ、ハンミョウ、コガネムシ、ミミズ、アカムシ、ヘコキムシ、カブトムシ、アシナガバチ、アブ」、まだまだある。
 ヤンマは夏の空を何匹も飛んでいた。小指の爪ほどの小石2個を飴玉を包んでいたセロハンに別々にくるんで、30センチほどの長さに切った糸の両端にそれをくくりつける。子どもたちはそれをブリと呼んでいた。夕焼け空を背景に、空を行き来して飛んでいるヤンマにそれを投げ上げる。ヤンマはブリの小石を獲物だと思って飛んでくると、回転しているブリの糸にからまって落ちてくる。これはなかなか成功しなかったが、子どもたちは飽きずにブリを空高く投げ上げていた。もう一つ、ヤンマ獲りの方法があった。一匹のヤンマをとらえると、長さが1メートルほどの糸の先にゆわえ、もう一方の糸先を竹の棒につなぐ。そうしてヤンマを放して、竹の棒を頭より高く上げて、ゆっくりと回すのだ。つながれたヤンマは頭の上でぐるぐる回りながら飛ぶ。このとき、子どもたちは叫ぶ。
 「らっほーえー、らっほーえー」
 おとりのヤンマを発見した空のヤンマは、おとりめがけて飛んできて、二匹はガサガサと羽音をたてて、もつれて落ちてくる。それを急いでつかまえる。これにも子ども名人がいたものだ。
 クモにはいろんな種類がある。家の窓や壁で、ちょろちょろと歩いては止まる1センチにも満たない小さなクモがいるが、ぼくはそれをアサグモと呼んでいた。そのクモは、ハエ獲りの名人だった。クモはハエをねらって、そろそろと近づき、一とびで捕らえられるところまでくると、立ち止まって様子を伺う。そして相手が油断したところを襲う。この狩を見るのが楽しくて、わざわざハエをつかまえて窓際に置き、狩の様子を観察した。
 土の中に巣をつくって住んでいるジグモでは、闘牛ならぬ、闘クモを仕組んだ。このクモは、庭の茶の木の根方に、穴を掘って筒型の袋の巣をはっていた。巣の長さは10センチほど、巣の入り口の穴は直径1センチか2センチだった。ジクモは巣の入り口近くに獲物が来ると、待ち受けていて飛びかかる。ぼくはジグモの巣を二つ、土から引っ張り出して、中からクモを出し、その2匹を向かい合わせる。ジグモは牙のような武器を2本振りかざして闘う。勝負はすぐについて、一方が逃げてしまうが、対決するときの興奮感が楽しくて、たまにそんな遊びもした。この遊びはすぐに終わり、他のもっと楽しい遊びに移って行く子ども遊び天国。
 ムカデは毒をもっている。かまれたら腫れ上がる。アシナガバチも毒を持っている。この2匹をビンに入れて、二匹の決闘を見たことがあった。大きさではムカデのほうが大きい。なかなか勝負にならないので、他のことに気がいってビンから離れて戻ってきたら、勝負がついていた。ムカデの牙のある口がハチの胴体をくわえていたのだ。子どもは残酷な遊びをする。しかし、そうした体験の積み重ねから、子どもたちは生命を学んでいったのだった。
 虫の多くは、観察の対象だった。アリの行列とアリの巣をしゃがんで見つめていた。芋虫を置いて、アリたちがそれを獲物にする様子を飽きずに眺めた。コメツキという甲虫は、身体をひっくり返すと、そのまま死んだ振りをしている。何秒かたつと、コメツキはピョコンと身体を折りまげてそのばねで飛び上がる。そうして身体を正常な位置に戻すと歩き始める。この動きの観察も楽しい。