27日は上高地の開山祭


 上高地の開山祭が今月27日にある。これまで開山祭もウェストン祭にも行ったことがない。洋子が、行こうかと言う。心が動き、行くことにした。
 初めて上高地に入ったのは、1955年の18歳の夏だった。
 その前年の1954年、高校の学級担任だった野村先生に連れられて級友の南口と剣岳に登ったのが日本アルプス登山の最初で、その翌年南口と槍ヶ岳から穂高へ二人で縦走し、大キレットの岩場をはいつくばるように攀じ、北穂高岳から涸沢カールに下った。北穂高山頂でひとりの登山者が「やっぱり穂高は日本一だ」と言っているのが聞こえた。カールとは圏谷のことで、北穂高岳涸沢岳奥穂高岳前穂高岳にぐるりと囲まれた谷間のこと、涸沢カールは元氷河の跡で大雪渓になっている。どこからかヨーデルが聞こえた。涸沢キャンプサイトに野村先生がテントを張って待ってくれていた。翌日はそろって「前穂高のドテッペン」に登った。
「空はピーカーンと晴れ、この頂上は、ドテッペンとしか言いようがない」
と先生が言った。涸沢に二日いて、雪上技術を習った。上高地への下山も南口と二人、横尾に着くとどっぷり暮れていた。真っ暗な夜の道を、訓練だと言いながら懐中電灯もつけず歩いた。星が木々の間からちらちら見えるだけで、道らしきものを探りながら河童橋まで下りてきた。初めての上高地だった。
 その後、上高地へは何度も入った。大学山岳部の穂高合宿では重装備を担いで島々から徳本峠を越え、二日がかりで涸沢に入った。積雪期は、沢渡をへて、氷結した釜トンネルを歩き、上高地にたどりついた。凍結した梓川の雪原は広々と、そこを歩いて涸沢に登り穂高岳に登攀した。
 中学校教員になってから、生徒を連れて穂高に登ったこともある。シンナー・ボンドを吸引する「非行」生徒を集め、それを断つための合宿を乗鞍高原で行ない、40数日の山小屋生活の一日、上高地から西穂高独標まで登ったのは1970年代、矢田南中学のときだった。
 我が子が幼いころは、家族4人で上高地を散策した。梓川の河原で遊ぶと風が冷たかった。このころ毎年家族で、乗鞍高原番所の民宿に連泊して、冬はスキー、夏は一之瀬牧場散策をした。1980年代の加美中学校修学旅行では乗鞍高原上高地に宿をとってフリーウォーキングを行なった。生徒たちは、岳沢小屋まで往復するコースと、大正池から明神池までのコースに分かれて自由に歩いた。
 それからばったり山へも上高地へも行くことがなくなり、上高地は追憶の場所になっていた。
 思いがけず声がかかったのは8年前だった。息子の拓也とフィアンセ理恵ちゃんが、秋の涸沢へ行こうと言ってぼくを誘ってきた。ぼくは体力的に自信がなくなっていたのだが、なつかしの上高地、そして涸沢カールと穂高だ。新雪に輝く穂高連峰も見たい。涸沢のナナカマドの紅葉、徳沢園の桂の樹の黄葉がぼくをひきつける。
 かくして、3人で10月の上高地に入った。横尾からの登りは青息吐息、最後のじぐざぐ道はあそこを登りきれば涸沢だ、と何度も言うが道はどこまでも続いていた。涸沢小屋に着いたのは日が穂高の向こうに没して薄暗くなるころだった。新雪が少し積もっていた。その夜、また雪が降り、夜が明けるころにはピーカンカンと空は晴れ渡った。小屋から出ると大絶景が展開している。宿泊客はカメラをもってテラスや雪原に立っている。雪の奥穂高、前穂高を朝日が紅く染めていく。白いザイテングラードの尾根を登っていく人がいる。息子は小学生の時に、吹奏楽部の庄田先生に習ったモルゲンレートの歌を歌っている。
 あのころ書いていた山日記が残っている。遍歴の人生であったから多くの記録が失われた。が、かろうじて残っているその日記、中にだれの作なのか今は分からない、心でつぶやいていた詩をぼくは書きつけていた。山岳雑誌「岳人」に載っていたものかもしれない。


    岩壁の狭き棚に
       石の落つ時‥‥
    いのちよ
    なれのいかばかり豊けく映ゆることか。
    おもひ畏(おそ)れて
    こころよ
    なれのまたいかに顫(ふる)へはじむることか


 27日、上高地開山祭。行ってみよう、冬の眠りから覚めた上高地へ。
 案内文に目を落とす。
 「河童橋のたもとには紅白幕が張られ、川岸には鯉のぼりがはためき、はじまりを合図するアルプホルンのファンファーレがシーズン開幕のよろこびを伝えます。山の安全と繁栄を祈願する神事が執り行われ、獅子舞や太鼓の演奏、祝いの踊りも。祭の参加者には酒樽の日本酒がふるまわれ、その後は野外パーティー会場へと移動して、おでんや焼き鳥などをいただきます。
 上高地は、まだまだ冬の風景。穂高は真っ白な残雪を抱き、梓川の色は冷たく、ケショウヤナギは若木のこずえを濃い赤褐色に燃え立たせ、冬の様相を伝えます。
 標高1500メートルの上高地では気温はまだ低く、氷点下になるときもあります。
 上高地で越冬したゴジュウカラや、ヒガラの歌声が聞こえます。寒さを避けて暖地で冬を過ごし、戻ってきたばかりのコマドリルリビタキアオジなどの歌声も。上高地夏鳥が戻ってくるのは、6月のころになるでしょう。」

 開山祭の二日後、29日には、我が家の近くの烏川渓谷で「オオルリの観察会」がある。烏川渓谷緑地の「からすの学校」の行事。瑠璃色の青い鳥、ブルーバード。日本三鳴鳥と言われ、美しい声でさえずるバードウォッチャーあこがれの小鳥。この探鳥会にも参加する。オオルリに出会えるといいな。