旅の中でチェルノブイリに行く人に出会った

 空港の本屋で買った「列島の歴史を語る」という網野善彦さんの本を読んでいた。離陸してから1時間ほど経っている。右の席に若者が座っていた。エコノミー席は隣の人と腕が接するほどくっついている。ひじかけの上で彼の服がぼくの腕に接触する。だが、彼は一言もしゃべらず、眼を合わすこともなく、座ったままだった。この若者はたったひとりで、どこへ何しに行くのだろう。体が触れるほどの近さにいながら、12時間ほど何もしゃべらないなんて異状だ。「袖振り合うも多生の縁」、山道で出会えば声を掛け合うではないか。
 ぼくは声をかけた。
 「どこへ行くんですか」
 思いがけない答えが返ってきた。
 「チェルノブイリです」
 とたんにぼくの脳天に光がさした。没交渉でネクラの日本の若者だ、と思っていたぼくの思いはひっくり返った。
 「チェルノブイリ? へえーっ」
 彼は初めてぼくの顔をちらっと見て、また前を向いた。ぼくは彼のほうへ顔を向けて、質問を繰り出した。
 彼はこれからウクライナキエフに向かう。これまで福島原発の事故後、被災地の子どもたちを支える活動をしてきた。福島原発事故放射能によって内部被曝をしている子どもたちに、温熱療法によって免疫力を高める活動をしている。自分の勤務する会社が温熱療法を行っているので、その活動から福島の南相馬に入っていたが、チェルノブイリの子どもたちにも活動を広げ、企業主が会社から独立して、社会貢献をするための一般社団法人を立ち上げた。これから仲間3人で、キエフの近くで、チェルノブイリ被曝者に会う。チェルノブイリでは、原発内にも立ち入る予定だ。放射能測定の線量計ももってきている。
 彼の団体の活動と彼の人生についての話につづいて、会話は、安曇野で行っている「安曇野ひかりプロジェクト」の活動に移った。彼もまた質問を繰り出してきた。
 安曇野での保養キャンプでは、たっぷりと森や谷川で遊ぶ。汚染のない自然の中で全身を解放して遊ぶことは免疫力を高めるようだという話に、彼は大きくうなずいた。
 1986年4月26日、チェルノブイリ原発は事故を起こした。ソビエト政府はチェルノブイリ事故から一ヶ月後には原発から30km以内に居住する約11万6千人すべてを移住させた。今年は事故後28年、この間に子どもたちの甲状腺がんが増えた。一方の福島では今も廃炉作業も除染作業も放射能汚染の地下水を止めることも困難を極めている。福島の本当の実態は明らかにされていないのではないか。世間では原発問題の風化が進んでいるように見える。
 話は、日本の若者の、海外での活動の話しになった。
 ぼくは、頭に浮かんだ3人のことを話した。イラク戦争時、イラクの現実を見てみたいと入って犠牲になった幸田さん、イラクの子ども支援活動を行って人質になりマスコミから「自己責任」の名のもとにバッシングを受けた高遠さんたちの仲間、そしてアフガンで農業支援をして殺害されたペシャワール会の伊藤さん。世界の悲惨な現場で身を挺して活動してきた若者たちがいた。
 「あなたもまた志をもってチェルノブイリに入ります。その行動が人を育て、歴史を作っていきます。ウクライナは国内情勢が不穏だけれど、価値ある活動だと思います。がんばってください。」
 話は1時間に及んだ。
 彼は最後に名刺をくれた。そこに「一般社団法人 世界の子供たちのために(CheFuKo) 世界本部」と書かれていた。
 「CheFuKoとはチェルノブイリのChe、福島のFu、子供たちのKo、3つの文字の頭から取っています」
と彼、平田さんは言った。
 「旅から帰ったら、チェルノブイリでのあなたがたの活動を、インターネットで見てみます」
 ぼくはエールを送って彼とヴィエナで別れた。

 昨日ぼくは旅から帰ってきた。インターネットで調べると、その団体のホームページがあった。

 <私たちは原発問題を取り扱うわけではなく、世界中で本当にひどい目にあっている子供たちに対して何かできることはないかと考え立ち上がった団体です。
 将来の夢は、ユニセフを超える世界的な組織となり様々な支援を行うこと。
 ぜひ、皆さんも私たちの理念と志を理解して頂き、何かの形で関わって頂きたいと思います。
 福島第一原発事故以後の福島の問題で今でも特に人々の心を痛ませているのは、そこで大変な思いをしている子供たちの姿です。子供たちは「未来からの使者」と呼ばれます。そんな子供たちの現状をこのまま放置してしまったら、私たちの未来は闇となってしまうでしょう。子供の教育の責任は三分の一は政府にあり、三分の一は親にあり、残りの三分の一は社会そのものにあるのではないでしょうか。
 子供たちの未来を考え、それを明るいものにするため、6/29〜7/5にかけてCheFuKo先遣隊はウクライナを訪問、皆様のご協力を頂いた義援金をドミトロちゃんへ無事に渡すことができました。
 今回の訪問で視察したチェルノブイリのゾーンおよび原発の中の様子、そして今尚、放射能の影響を受けている人々がたくさんいるジトーミルの様子を、写真を交えてお伝えします。>

 彼らのホームページにそう書かれていた。