牛久の人への感謝


安曇野ひかりプロジェクト」の、福島の子どもたちを招く保養ステイに、みつこさんからカンパが送られてきた。ありがとうございます。ありがとうございます。

昨日書いた灰谷健次郎さんは、当時その著に、茨城県の牛久沼の住井すゑさんを訪れたときのことを書いていた。
みつこさん、あなたはその牛久に住んでいらっしゃるのですね。

 <住井さんの住居から牛久沼がよく見えた。住居のまわりは迷路のような生垣の路地で、自生の百合がそのあたり一面に咲き乱れ、つよいにおいを放っていた。
 これは島の風景だとわたしは思った。路地にサンゴの砂でもあればまるで沖縄の離れ島の風景だし、裏庭から望む牛久沼は、わたしの家から眺める静かな瀬戸内海の海でもあった。
 住井さんも田畑を耕し、自分の食べるものを自分で育てている。
 住井さんも「島で暮らす」だなあと思うと、うれしくもありおかしくもあった。
 わたしは差別とたたかっているから達者なんだとおっしゃるとおり、心身とも若者顔負けのお元気さで、とても八十三歳には見えない。今、大作と取り組んでいて、それは、たぶん『橋のない川』をこえるくらいの枚数になるでしょうと、こともなげにおっしゃる。
 まいったなあとわたしは降参した。
 ‥‥
 「灰谷さん、機会をみつけてこんど子どものことだけで、一日ゆっくり話しましょう」
 そう住井さんはいった。この人もまた、子どもに深い愛を寄せている。>

 住井すゑは1997年に、灰谷健次郎は、淡路島から沖縄に移住し、2006年にこの世を去った。
 住井さんの、牛久沼のほとりの文章は、心に残っている。


 みつこさん、あなたの暮らす牛久は、美しいところなんですね。

 明日からしばらくこのブログを休みます。7月の中旬ごろからまた書きます。
 ごきげんよう