凍土

 工房の北側の畑は、日陰の畝が凍土になっている。工房にいちばん近い一畝は、秋に大根をつくった。大きい大根は収穫して、葉を切り落とし、冬用に新聞紙にくるんで発泡スチロール箱に保存した。それは今も料理に使っている。
 畝にはまだ小さ目の大根が10本ほど残してあった。それはそのうち適当に使うだろうと思って、あまり考えないでそのままにしておいた。
何回か雪が積もり、氷点下10度前後がつづき、日陰の土は固く凍ってしまった。残っていた大根はどうなっているだろう。行ってみると、小さかった大根は、3分の1ほど上部が地表に出ていて、その部分は組織が凍って変質し色も赤茶色を帯びて腐ったように柔らかくなっていた。食べてもらえず無視された大根、こんな哀れな姿になるとはもったいないことをしてしまった。地下に埋もれている部分は食べられるかどうか、気温がゆるんだ日に掘ることにした。
 スコップとツルハシを用意し、まずスコップを土に入れた。カチンと音がした。凍土だ。スコップでは掘れない。よし、ツルハシで掘ってみよう。ツルハシを振り上げ、大根のすぐきわに力いっぱい打ち込んだ。ガツン、衝撃が手に来た。ツルハシもスコップも歯が立たない。ツルハシの尖った先は3センチほど凍土に突き刺さったが、凍土はコンクリートのようにびくともしない。この硬さは尋常ではない。何度もツルハシを打ち下ろす。凍った土が少しずつ欠けた。1本の凍(し)み大根を掘り出すのは容易なことではなかった。やっとこさ1本を掘り出し、2本目を掘ると、地中で大根が折れてしまった。そして3本目を掘り上げた。上部は凍みすぎて変質し、地中にあった部分は白いことは白いが、秋の大根のみずみずしさはない。それでも料理してみようと家内が言ってくれたから、台所の外に置いておいた。
 「水菜を取ってきてくれない?」
 家内の求めで、クルミの木の畑へ行った。京水菜は1月に入っても緑色をしていて何度も食べた。おいしかった。ところが、行ってみたらこれもまたひどく傷めつけられていた。大きく広がっていた葉は枯れ、芯の部分とその周辺だけが生き残っている。ひやあ、どうするべ。今晩食べると言ってたから、この中心部だけでも持って帰ろう。根株の際を鎌で切り取り、枯れた外葉をもいで、残っていた水菜全部切り取って持って帰った。ポリ袋でくるりと包むと、自転車の前カゴにすっぽり納まるほど少なかった。
 今畑に残っているのは、地べたを這うほうれん草がいくらかと、松本一本ネギだけになった。これもまた寒さに耐えてはいるが、満身創痍という感じだ。
 家内が料理してくれて食卓に乗った凍み大根と水菜、大根はがんもどきと合わせて煮物に、水菜はおひたし、どちらも結構食べることができおいしかった。

 3月下旬の気温という日が来た。温かい。凍結がゆるみ、日が当たって小草の生えている畝は土が柔らかくなっている。冬の間に畑の土を天地返しする作業を、凍土になる前にやるべきだったが、それをやっていなかったから、この日を逃すまいとスコップで天地返しをした。スコップをずぶりと足で踏み込んで、ひっくり返す。
 庭の畑はひととおり終わった。いくらか凍りを含んだ黒い土が、日にさらされている。
 適期にやるべきことはやる。またまた痛感する。