ハクビシンが電線の上を走っていた


 電線の上を一匹の動物が走っている。電話線を束ねた太めの黒い張り線の上を、そいつは器用にちょこちょこ綱渡りしていく。朝のウォーキングのときだった。初めはネコかと思った。が、顔が尖っているからネコではない。一緒に付いてきていた登校中の小学生に知らせた。
 「ほれ、あれ見てごらん」
 女の子は4年生、男の子は3年生、二人はそれを見た。
 「わあー、何? ネコ?」
 男の子が小走りしながら、動物を見上げて叫ぶ。
 「いや、ネコじゃないよ。」
 動物の体の大きさはネコぐらいだけれど、額から鼻筋が白い。全身は灰褐色だ。
 「アライグマだあ」
 ランドセルを背負った男の子は、珍しい生き物に興奮している。
 「アライグマか、アナグマか、ハクビシンか」
とぼくが投げかけたら、
 「えっ、クマ?」
 クマじゃないよ。アライグマもアナグマもクマじゃない。今の子どもたちはアナグマもアライグマも、またイタチも見たことがない。ぼくの子ども時代はイタチがいっぱいいた。学校の行き帰り、道を横切るイタチを夏の道で毎日見る。前を横切るときは、一度道の真ん中で立ち止まって、後ろ足で立ち上がる。そしてぼくのほうを見る。イタチは近眼だとか聞いたことがある。4、5メートルほどまで近づくと、やっと気がついたように、あわてて道を横切って草むらに逃げ込む。
 電線上の動物はわき目も振らず走っている。そりゃ曲芸だから集中しないと落ちてしまう。
 「あれはアナグマでもアライグマでもないよ。鼻が白いだろ。ハクビシンだよ」
 ハクビシン? 子どもたちはけげんそうにしている。知らないらしい。ハクビシンはジャコウネコ科の動物だ。この近くで2年ほど前ハクビシンが車にひかれて死んでいたことがあった。そのハクビシンは体長が80センチほどあったが、今そこにいるのは、子どものようだ。
 ハクビシンは、2本目の電柱から3本目の電柱へと電線の上を伝っていく。途中で足を踏み外すと、その度に止まって電線をつかみなおし、また小走りで進んでいく。小学生とぼくは、それを見上げながら電柱3本目まで追跡して行った。ランは頭上の生き物に全く気づかない。犬の視界には真上のものはなかなか入らない。ランに気づかせたら、興奮して狩猟本能を発揮しただろうが、こちらはハクビシンがどこから地面に降りてくるか、好奇心がそっちに行っていてランに教えることがすっかり抜けていた。
 電柱3本目に、横の空家との間に生えている大きな木があった。はりだした枝が電柱に接触している。あっという間にハクビシンはその枝を伝ってうまい具合に空き家の屋根に渡ってしまった。一瞬のことで、姿は忍者のごとく消えてしまった。屋根の上を見回したが、どこにも見えない。空き家の屋根裏が棲みかなのかもしれない。
 ハクビシンは家の屋根裏や天井裏に住み着いたり、畑の作物を食ったりするものだから、最近困り者にもなっている。この動物は、明治時代に日本に入ってきたとかで、これまであまり知られてこなかった。
 「めずらしい動物を見たねえ」
 「うん」
 子どもたちは、いい体験をした。学校へ行ったら、さっそく友だちに話すだろうな。すごいのを見たぞー。