民主的な社会の原型がここにある

 小泉純一郎元首相が、こんな発言をしたらしい。
 「安倍首相には勢いがある。首相が脱原発を決めれば前に進むのに、残念だ。
 脱原発は政治がリーダーシップを発揮しないと進まない。自分は数十年後には死んでいて、原発のない日本は見られないかもしれないが、それをするのが本物の政治家だ」(9月29日 朝日)
 高齢になると、残りの年を読むようになる。あと何年生きられるだろうか。小泉元首相は、「自分は数十年後には死んでいて、原発のない日本は見られないかもしれない」と思う。
 東京オリンピックまで7年、その時まで自分は生きられるかな、自分はそれを見たいから、それまで元気に生きよう、と言う人の声も聞く。
「それをするのが本物の政治家だ」、そのとおり、政治家は目先のことばかりでなく、未来社会を想い画くことのできる人でなければならぬ。
原発のない日本を想像できる政治家であるかどうかが問われている。
 地方の政治家も、目先のことがらに走りがちだ。この施設、このハコもの、この制度は自分のときにつくった、と手柄話にする政治家の頭の中で見ている未来は、自分の任期。
 遠い未来に思いを馳せる。その未来は50年後、100年後、300年後、1000年後の日本と世界。原発が存在する国の未来は500年、1000年、2000年の時間軸にならざるを得ないのは、原発放射性廃棄物原発廃炉があるからだ。その間に大地震津波がやってくる。年を経るにつれて、原発放射性廃棄物は膨大な量になり、汚染の危険は拡大していく。 

 国も地方も、さらに、子どもはどうなる、高齢者はどうなる、福祉は? 農は? 民主主義は、と難題が山積している。
 地方行政は、もっと市民の中に入って、市民とともに未来を画くことが出来るはずだが、とんと市民と直結せず、実態をつかんで未来を描くことをしない。

 望三郎君は安曇野市議会議員に立候補した。若者たちが応援している。高齢者も応援している。今日から選挙戦が一週間始まった。
望三郎君は自分の考えをみんなに出した。そして意見をみんなから聴いた。

 <若者には若者なりの思いが、子育て世代には子育て世代なりの思いが、
 移住者には移住者なりの思いがありますよね。僕はそんなみなさんの思いにしっかりと耳を傾けて、それを議会で伝えていきます。
 そして議会で起こったこと、市政で起こっていることを、みなさんに分りやすく伝えていきます。
 まず僕がその道を切り拓きます。後から続く人が安心してついてこれるように、深い谷間に橋を渡します。
 若者のみなさんも後に続いてください。
 安曇野のことを、これからどうあったらいいのか、何が大切で必要なのか、それを自分たちで考え、決めていく、そんな安曇野市の政治にしていきましょう。私たちのまちの政治を、自分たちのものに取り戻していきましょう。>

 アイガモで米を作っているタカオ君が意見を出した。

 <若い人が議会にいない、それで何が問題なのかを、明確に伝わるように、対話集会などで掴んだ例などを出すべきです。
 「取り戻す」という表現は、分かるようで分からない表現。もともとあったものが奪われて、もしくは離れていって、それを取り戻すということになるかと思いますが、そもそも、自分たちで、自ら決めていた時代を経験してきた人など、今の日本にはいないと思うので、ちょっと違和感を覚えます。当たり前の感覚で運営されていくものに変えていくという内容なのかなと思います。みんなで決めようぜってことが、実現されずにずっと来ている、ここらで一つ、ちゃんとみんなで考えてみんなで決めるってことを実現しようぜってことでしょう。それが本当に実行されれば、色々な問題は起こらないはずなのに。
 本来的意味からすれば、やはり取り戻す、でいいのかな。>

 高齢のハッさんの意見。

 <安曇野に民主的な社会があったか?
 安曇野を少し歩けば、必ず道祖神や庚申塚に出会います。それは、そこに小さなコミュニティがあったことを示しています。我々の祖先は、話し合いをしながら人と人がつながり、コミュニティを持続させてきたのではないでしょうか。安曇野にたくさんある道祖神、庚申塚は、その象徴だと思います。
 現代の民主的社会の原型がここにあったと思ってもいいのではないでしょうか。
 現在はどうでしょうか、人とつながる力(社会力)が弱まっているように思います。もう一度、安曇野のよき時代を思い出す時が、来ているのではないでしょうか?
     折り合って生きる山里十三夜  >

 対等な関係のなかで、人が意見を寄せ合っている。彼はそれを聴いて、自分の考えを練っている。
 この選挙をつくっている若者と壮年と高齢者、ここに民主的社会の原型がある。