クリスマスパーティは

写真:家内がつくった5人のサンタさん。雪の上に置いたら、北欧の感じがよく出た。



 日曜日の夜、午後6時から日本語教室のクリスマスパーティだった。
 公民館に集まったのは20数人。
 生後2ヶ月の赤ちゃんも参加して、にぎやかなパーティになった。中国人ママは5人、ベイビーを抱っこしてやってきたのはTさん、ベビーカーに乗せて来たのはAさん、いつも中国人ママにつれられて教室にやってくる幼児2人は解放感いっぱい、元気に遊びまわる。中国から研修生として安曇野にやってきて後に日本人と結婚した愉快なママは幼児を一人つれてきて幼児は3人になった。二人の子持ち。フィリピンで日本人男性と結婚して日本に来たフィリピン人夫人は久しぶりに笑顔を見せてくれて、うれしかった。赤ん坊のとき中国に残留して20年前日本に帰ってきたママは息子の中国人嫁と孫二人を連れてきた。母と嫁はこのごろ教室に来て日本語を勉強している。孫は小学生と中学生。
 久しぶりでノブがやってきた。パラグアイの日本人移民の三世、父も日本に来ているが別の県にいる。祖父母や母はパラグアイにいる。ノブは通信制高校に通っているが、卒業まであと一年ある。彼は小学6年のとき日本に来た。ノブは友だちをひとり連れてきた。同じ通信制高校で学んでいる友だちA君だ。彼の家族は安曇野から北海道に移住していたが、再び安曇野に戻ってきたのだと言った。ベトナム人の実習生二人は、時間に遅れてやってきた。やっぱり残業だった。日曜日の夜には日本語教室のパーティだということを会社も知っているが仕事優先、配慮がなされなかった。ほかのベトナム実習生は仕事が終わらず、来れなかった。別の会社の中国人実習生の参加は無かった。理由は分からない。教師は7人、みなさん食事準備の買い物などで忙しいことだったろう。家での手づくりのケーキや漬物や果物など、いろんな食べ物が集まって、食卓はあふれんばかり。ベトナムの二人は、男の子だがベトナム料理を毎日つくっている。彼らがパーティに持ってきてくれたのは豚の耳をつぶして、いろいろ混ぜ物を入れてつくったもので、醤油を少しかけて食べる。こりこりと歯ざわりがよく、かむほどにベトナムが味わえる。
 ぼくは、「安曇野の四季」という歌の歌詞を書いて、歌詞の意味・訳を付け加え、20枚コピーしたのを全員に配り、みんなで歌うことにしていた。いきなり知らない歌を歌うことになるので、地元の扇町コーラスでこの歌を芸能際で発表した時の録音CDをコーラス仲間の巌さんから借り、家のCDラシカセを持ってきた。
 午後8時、歌の始まり。まず歌の解説をする。次に合唱の録音をバックに、ぼくも歌い、それ聞いてもらう。つづいて歌をアカペラで歌う。
   春はまだかと 振り向き見れば
   北アルプスは まだ雪景色
   わさびの花が 白く咲くころ
   雪解け水の 瀬音も高く
   安曇野 安曇野 
   やがて 春
すると、反応が早かった。もうベトナム青年のトー君とハップくんがメロディに付いて歌っている。ノブも歌っている。春夏秋冬の4番まで歌詞はあり、メロディは単純だから覚えやすい。日本語を覚える一つの方法は歌を覚えることでもある。最後に、CD録音をバックに全員で歌った。歌が始まると、ベトナムの二人にノブ、その友だちA君、そして中学生の孫も、男全員立ち上がって、大声で歌った。やったねえ。やっぱり歌はいい。
 ハップもトーも、来年はベトナムに帰る。3年暮らした安曇野の思い出に、この歌、覚えておくんだよ。
 もうひとつぼくは用意してきたものがあった。サンタクロースの赤い帽子と、あごヒゲ、付け鼻、赤いダウンジャケット、ぼくが変装するつもりだったが、こっそりとハップを呼んで別室で、ハップがサンタになった。ヒゲをつけて、廊下に回って突如登場、オー、オー、子どもたちは大喜びで、飛んできた。ハップは子どもたちを抱きあげて、高く持ち上げる。ハップも大喜び。
 9時前、3時間近くのパーティは終わった。
 いろんなお土産をもって、みんなは帰っていった。