トマトをもらいに

 我が家では生ゴミは全部堆肥にしている。物置に置いた木箱では、米ぬかとモミガラ燻炭、ピートモスの三種を混ぜた堆肥床に生ゴミを入れて、1、2日に1、2回程度かきまわす。生ゴミはやがて発酵し分解を始める。野菜クズは量が多いからそこへは入れず別にして、土に掘った穴に直接投入している。この野菜クズの穴はお隣の家に近く、丸見えだからいい感じはしないなあ、ともう少し美的にすることを考え、丸太でコンポストづくりの入れ物をログハウス風に組み立てることにした。
 昨夕から工作を開始。チェーンソーを久しぶりに持ち出して、けたたましい音を立て、薪ストーブ用にもらってきたクルミの木の丸太を切る。これを井桁に組み立てる、本数が足りないので、またクルミの木の家へもらいにいく予定。

 秀武さんのトマト畑1反歩にはまだたくさんトマトが残っている。「採りにおいで」と言ってくれたから、日曜日にダンボール2箱収穫してもらって帰り、日本語教室へ持っていったら、みなさん喜んで持って帰ってくれた。このトマト、季節はずれの夏日がつづき今も元気盛んで、まだまだ緑濃い葉かげにたくさん色づいている。だが、いったん霜が来れば、たちまち葉も幹もしおれてしまうから、元気なうちにほしい人にあげようとの秀武さんの気持ちに感謝して、秀武さんにまた電話をした。
 「ベトナム人の若者たちも中国人の女の子たちも、先生たちも大喜びでしたよ。もっとほしいという人もいるので、台風前の今日の午前中、いただきにいってもいいですか」
 「どうぞどうぞ、声をかけなくてもいいから、いくらでも持って行っていいですよ」
 年をとって寒い冬を越すのがつらくなったと、北海道の北部から、娘が嫁いでいる安曇野へ移住してきてまだ1年にならない佐藤先生と、中国人の若奥さんチンさん、アルバイトをしながら定時制高校に通うノブに連絡したら、3人は10時半にやってきた。ノブは日曜日の日本語教室をこのごろよく欠席する。天気予報では午後から雨だということだったが、すでにかすかな雨粒が音もなく降り始めていた。
 一輪車にダンボール箱を載せてノブが押し、トマト畑まで5分ほど野道を行く。彼は、パラグアイで子どものころ一輪車を押して仕事をしたと言った。彼の祖父母は日本からの農業移民、ノブの一輪車を見る目はいかにもなつかしいという感じだった。
 畑に着くと、ダンボール箱をそれぞれ一つずつ持って、畝間に入る。収穫終わるまで本降りにならなければいいが。地這いトマトは、この辺りではトマトジュースに加工される。トマトは地面に広がっている。
 赤くなったトマトをもいでは、箱に入れていった。小雨がすこし服を濡らす。山はすっかり姿を消した。
 箱がほぼいっぱいになりかけたところで、急に雨の勢いが強くなった。雨は服のなかまでしみとおってきた。体が冷えてくる。
 「引き上げましょう」
 一斉に箱を畦まで運び、一輪車に載せた。ノブが1箱両手に抱え、一輪車に載せた3箱はぼくが家まで運んだ。雨の勢いが止みそうになく、全員肌着まで濡れた。
 「風邪を引くといかんから早く家に帰って着替えましょ」
 ノブは自分の車で、佐藤さんの車にチンさんが乗せてもらって、三人は急いで家に帰っていった。
 あれだけの量のトマト、新鮮なうちに食べきれるだろうか。チンさんはサラダにすると言い、ノブは「いとこのいとこにも、あげる」と言う。その子もパラグアイから来たのだろうか。チンさんには、トマトソースを作るといいよ、佐藤先生に教えてもらいなさいと伝えた。今年の夏は、我が家ではトマトソースをつくる余裕がなかった。トマトを長時間煮込むのが暑い夏では大変だったこともある。