彼ら故郷へ帰る

 実習生として3年間、日本の企業で労働に励んできた若者たちが故郷へ帰る日が近づいた。日曜日夜、堀金公民館での日本語教室は3人を送る宴だった。日ごろ御無沙汰していた人たちも久しぶりで集まり、総勢18人。日本人男性と結婚したフィリピンの女性に中国人女性は、家庭を担う妻であるから、彼女たち3人は去年自動車学校へ通って、見事に免許を獲得していた。 

 「一発で合格しましたよ。でも自動車学校ではきびしかった」
という顔は、今は余裕。今日も自分の車を運転してやってきた。
農業実習生の李君は仕事は昨日で終わった。一週間自由な時間があり、次の日曜日に、名古屋空港から中国に飛び立つ。紡績関係の実習生、王さんと董さんは8月に帰国する。
 送別の宴の準備を、指導メンバーの女性たちがやってくれた。公民館の調理実習室を使って、肉と野菜を焼き、サラダをつくり、果物を切り、持ち寄りの料理も含めて、心づくしの食卓となった。

 帰国する3人が、お別れのあいさつをした。指導者たちは送る言葉を述べた。送る側にいる外国人青年たちは、言葉はたどたどしかったが別れの心情を素直に語り、聞くものの胸にしみるものがあった。ボランティアでやってきた指導者たちは生徒たちから喜びと力をもらってきたことを語った。去年と今年日本に来たばかりのベトナム青年たちは、同じ職場の中国青年の李君から、いろいろ先輩として教わり世話になったことを、言葉数の少なさにもかかわらず、感情が湧き出た涙を誘う挨拶になった。

 日本語教室では、なによりも、中国人、ベトナム人パラグアイ人たちの若い魂が、陽気で、思いやりが強く、冗談があふれて笑顔をまきちらした。この送別の宴も、楽しくて解放感のあるものになった。

何回か練習した「ビリーブ」を大友夫人の電子ピアノ伴奏で歌った。みんなで2回繰り返し歌い、続いて帰国する3人にベトナムのトー君も加わって、彼らの声を響かせた。数回の練習だったが、彼らはほぼ歌の心をつかんで、歌いきった。
 ゲームも加わり、最後に唱歌「ふるさと」を初めてだったが、みんなで歌った。
 後一週間で帰国する李君は、付き合ってきた彼女の写真を見せてくれた。この3年間、毎日彼女とメールを送りあってきた。帰国すると、結婚するのだということを初めて告白、みんなから祝福を受けた。
 李君は帰国まであと一週間、日本に来てまだどこへも行ったことがない。働く毎日で、その余裕もなかった。最後上高地に行きたいという。一人で上高地を散策してくるのもいいと思う。彼は東京などの都会へ行くより自然のなかがいいと言う。ぼくにも一緒に行きませんかと言ってくれたが、彼の予定している翌日は行事も入っていて、それは受けられない。でもぼくは彼と約束して、上高地の入り口「沢渡」まで朝一番、車を飛ばして送ってやった。「沢渡」からは、マイカーは入れない。そこからバスに乗って上高地に入る。
 初めての日本での小さな旅、大正池を見てこい、河童橋もいいぞ、明神まで歩いてくるか、山の気がしみてきて、やっぱり山はいいぞ。
バスの窓から手を振って、彼は上高地に向かった。