ベトナム青年との日本語学習


今日は、ベトナム青年二人を教える。
「はい、読んでください」
「まっすぐな竹」
「まっすぐな竹。たけって何? 知っていますか」
「はい、知っています。ベトナム、竹、たくさんあります」
「竹で何をつくりますか」
「うち、つくります」
「家? 竹で家をつくります?」
「はい、やね、かべ、竹」
「どんな家ですか? こんな家?」
ぼくは黒板に絵を描く。
「はい、そうです。いすも、つくります」
「いす? 竹の椅子。ははあ、家具にもするんですね。『まっすぐな』、これ分かりますか?」
黒板にまっすぐな竹と、まがった竹の絵を描く。
「こちら、まっすぐな竹、こっちは曲がった竹」
ぼくはチョークで指して、二つを唱和させる。つづいてぼくは立ち上がり歩く。初めに直線状に歩く。
「まっすぐ歩く、まっすぐ歩きます」
次に歩いていって、途中で曲がる。
「右へ曲がります。つぎ、左に曲がります」
黒板に、「曲がる」と「曲げる」と並べて書き、ふりがなをふる。
「曲がる、曲がります、曲げる、曲げます、違います」
ぼくは立ち上がり、腰を両手でぐるりとなでる。
「ここが腰です。二人は何歳ですか」
二人は、23歳、22歳と答える。
「30歳、40歳、50歳、60歳、70歳、人間は年を取ります。70歳、80歳は、老人です。腰が曲がります。」
今の日本には腰の曲がった高齢者は少ないけれども。つづいて黒板に「老人」と書いて、ふりがなをつける。それから、腰を曲げて杖を突く格好をして歩く。
「わたしは、老人です」
「いいえ」
トーさんが笑いながら言う。
「ノーノー、老人です(笑)。はい、年を取って、腰が曲がります」
黒板に「腰が曲がります」と書く。次に直立して、腰を曲げる。それを繰り返す。
「腰を曲げる、腰を曲げます」
並べて板書する。
「腰が曲がる、腰を曲げる、どう違いますか」
「どう違いますか」という質問の意味が分からないようなので、言い方を変えて理解させる。腕を前に伸ばし、つづいて脚を伸ばし、
「腕を曲げます。脚を曲げます」
「腕が曲がります」と「腕を曲げます」、違いを考えさせる。
すると、二人は「腕を曲げます、腰を曲げます」のほうを指して、
「考えます」
と言った。ぼくは自分の頭を指して、
「そうです。私は腰を曲げます。腰を。私は腕を曲げます。腕を。私は考えました。何をしますか。何を。『腰が曲がります』は、何をするかはありません」
二人の持っている辞書には、「自動詞・他動詞」のベトナム語は載っていない。だからそのことはパス。
続いてテキストを読む。「にわとり」が出てきた。そこで鶏談話。
黒板に、「にわとり おす→おんどり」「にわとり めす→めんどり」「にわとり ひな→ひよこ」と書く。
「おすは男、めすは女です」
二人がぼくに訊く。
「にわとり、いますか」
「えっ? ぼくの家? いません。むかし、いました」
「日本の家、にわとり、いません」
二人は目玉をきょろきょろさせて、周囲を見回す。不思議だ、どうして? 二人の家は地方の農家だ。ほとんど家で鶏を飼っている。
「そうですね。いま、どこの家も飼っていません」
ぼくの家では子どものころ、50羽ほど飼っていた。昔は日本でも多くの農家の庭に鶏がいた。
「わたしの家、100羽いました。正月に、80羽売りました。20羽、食べました」
20羽と言う時、トーさんは手で首を切るまねをした。そんなにたくさん肉にしてどうするのかと訊くと、毎日食べる、親戚にあげる、という。ベトナムの正月も中国と同じ、2月の旧正月だ。
「わたしの家、30羽、おんどり、めんどり、70羽、ひよこ」
とハップさん。今はベトナムも大きな鶏舎で飼っている。餌は買うのだと言う。外で飼っていたときは、草や虫、米などいろいろ食べていた。犬や猫もいるけれど、鶏を襲わない。鶏肉、日本では鶏をまるごと売っていないが、ベトナムでは一羽まるごとで売っている。スーパーで売っている日本の鶏肉の味についてトーさん曰く、
「日本、おいしくない。ベトナム、おいしい」
鶏舎で飼う養鶏では、鶏の成長はたいへん早いと二人は言う。ベトナムもどんどん変化しているようだ。