今朝、ツグミが庭に来ていた。くちばしで、雪の融けた地肌の落ち葉をくちばしではねちらして木の実を探している。ツグミは冬鳥で、4月ごろまで日本にいてシベリアに帰っていく。今朝もマイナス12度だった。
ヤマボウシの樹の餌場に毎日スズメが群れて米ぬかを食べに来る。地面にも米ぬかを置いてあり、そこには20羽ほど来て地面をつついている。
ちょっと実験してみた。いつもの所から20センチ離れたところにも置いてやる。ところがその餌の横を通過しながらそこに行って食べることをせずに前の餌場に行く。これまで食べたところが安全ということなのか、そこなら食べられるということなのか、習慣化するのか、新しい餌場はすぐ近くにあるのに、そこへ行かない。
十分ほどして、初めの一羽がやってきてそれを発見し食べだす。と、他のスズメもそこに食べ物があると分かってやってくる。そこへヒヨドリがやってきた。スズメたちが食べているなかへ飛び降りる。一斉にスズメは飛び去る。しばらくヒヨドリの独占だ。ばくばく食べている。
この地区の年金生活者による集い「いきいきサロン」が昼に地区公民館であり、30人ほどの人が集まって食事会をした。ぼくはその場で、例の提案をさせてもらおうとプリントを2枚準備して持っていった。区長がやってきて一本差し入れてくれたので、少し酒が入った。
例の提案というのは、四つある。それを最初に話させてもらった。
ちょっと私のつぶやきを聞いてください。
「2030年、日本はどうなっているか」(NHK)という特集番組がありました。ご覧になった方もいるでしょう。2030年、そのとき、私はもう生きていないかもしれませんが、子や孫はその渦中です。このままでは大変なことになる、相互扶助社会にしなければ、社会はもたない、という報道でした。では、どんな風にしていけばいいのでしょう。
一つ目の提案
公民館に週に何回か、あるいは月に何回か、集まってきて、囲碁をしたり将棋をしたり、カラオケで歌ったり、おしゃべりしたり、卓球したり、そんなサロンのようなこと、できませんかねえ。どこの県だったか、囲炉裏のある古い家を借りて、そういう場をつくっているところがありました。そして、二つ目の「子どもたちの寄り合い所」と両方で、高齢者が子どもたちを見守り、一緒に遊んだり、お話をしたり、勉強を見たりして、高齢者も元気になり、住民の絆も生まれる、そういうサロン、しませんか。
二つ目の提案
公民館をミニ児童館にして、子どもの居場所づくりです。住民から本を寄贈してもらって、子どもたちが集まってきて、読書、勉強、卓球、ゲームなどをします。年上の子が年下の子の宿題を見たり、大人、高齢者が子どもたちの話し相手になったりします。
公民館を子どもの遊び場、勉強の場、ミニ児童館にできないものでしょうか。
三つ目の提案
昨年から始めている、物と心のおすそわけ、気軽な助け合いをしようという「おすそわけの会」が、情報発信が不十分で、まだ住民に浸透していません。世話人もまだ少しです。
まずは花の苗のある人は花を、樹の苗や幼木のある人は樹を、ほしい人に贈り、この地区を安曇野のオアシスにしませんか。
四つ目の提案
現代社会と「樹木葬自然公園と子どもの森づくり」の構想。
食事をしながら同じテーブルに座った人たちとおしゃべりがはずんだ。広島から安曇野に移住してきたNさん、
「自分も樹木葬を希望しているんだけれど、そういう公園をつくるとなると、難しい点もあるんじゃないですか。川の上流地域に墓地をつくると反対意見もでるんじゃないですか」
「そういうこともあるかもしれませんね。けれど現に公共の墓地がここでも上の地域の里山につくられているでしょう」
小学校を卒業したのが戦後すぐだったというKさんは、安曇野生まれの安曇野育ち。
「相互扶助は、昔はここにもあったんですよ。いまはだめですねえ。自分のことばかりで。隣は何をする人ぞ、ですよ」
「私は奈良に住んでいましたが、葬式は公民館で、全部地区の人、隣組の人でやっていましたねえ。お骨を埋葬する墓穴掘りも、隣組でやりましたよ」
「いや、ここも昔はそうだったんですよ。それがすっかり変わったしまった。葬式は会館でするようになって。心が通わなくなった」
いつもいろいろ手伝ってくれる巌さんは、
「提案には賛成なんだが、具体的に何をするのか、一つやることをつくって、実現したものをつくらないと、どうしていいのか分からないよ」
「そうですねえ。だから実行メンバーがほしいんですけどね」
集いの最後に「信濃の国」をみんなで歌った。
参加していろんな人と話ができ、初めて話せた人もいた。ことがらの実現は遠いけれど、コミュニケーションができたことがよかった。
Hさんのつくってもってきてくれた、蕎麦湯を寒天で固めたのがおいしかったし、お漬物もおいしかった。