雪の価値 水の価値


 昨日も雪、今日も雪、人に会うとあいさつは、
 「よく降りますねえ。雪かきたいへんで、困りますねえ」
 それでもまだこの地方は雪が少ない。北信の豪雪地帯は、雪かきどころか、雪下ろしが毎日の仕事になる。雪対策に使う個人の労力や自治体の財政負担は大きい。
 ウォーキングの途中で、ソウゾウ君の家に立ち寄ってみた。元気かい、子どもたちは大丈夫かい?
 マキちゃんはジンペイちゃんをおんぶして出てきた。小学一年生のイチゾウ君は学校から帰ってきて家にいた。もうインフルエンザは治って元気になった。ユズちゃんも元気にニコニコ笑っていた。土木・造園関係の会社で働いているソウゾウ君は、除雪作業も市から会社に委託され、その仕事も忙しいと、マキちゃんが言う。夜の間に積雪があると、午前2時にはまた仕事場にもどり、除雪作業用の車を動かさなければならない。除雪と融雪剤を撒くのと、仕事は二つある。会社が夕方終わって、家に帰り、その後宵のうちのアルバイトに出かける。家族のために、エンヤコラ、よく働く。
 この除雪という作業は、市から民間の業者に委託されているから、我が家の地区は農園主が大型農機具を動かしている。一昨夜も夜中に30センチ余り積もったが、朝の出勤、登校時間までに除雪車が動いて雪を道路の両側にどけていた。
 やっかいものの雪だが、この雪が山からの雪解け水となり、田畑を潤し、豊穣の大地をつくってくれる。この地で農業が栄えるのも、網の目のようにつくられた水路を下る山の水のおかげだ。年中川の水は絶えず、水路を水が流れる。だから溜池は生まれなかった。
 ぼくの育った大阪の河内では、川からの水は来ないから、大きなため池がつくられていた。池の周りを堤防が取り囲み、池は田んぼよりも高くつくられて、田んぼに水が送られていた。ぼくの家の前の池は、2、3ヘクタールぐらいはあっただろうか。池は三つ集まっていて、池と池の間にはススキが繁り、樫の並木があった。池の際には葦が繁り、魚や水生昆虫がたくさんすみ、水鳥がいつも泳いでいた。ぼくが小学生のころはフナや雷魚を釣り、中学生の時には大きなウシガエル(食用ガエル)をつかまえて細長く作った布袋に数十匹入れ、売りに行ったこともある。なんでもアメリカに輸出するのだとか業者が言っていた。この池は、住宅地街が広がるにつれ、農地が減り、結局池は埋め立てられ住宅地になってしまった。高度経済成長期、都市周辺は農家が消え、農地、ため池は宅地になった。このころ、ため池という地域の公共の財産の価値を住民も行政もまったく考えることがなかった。ため池がもっている文化的、環境的価値である。そこに長い歴史のなかで生まれている自然があるのだから、そこを自然公園化すれば貴重ないやしと憩いの水辺が、オアシスのようにつくることができたのである。
 現代にいたり、水資源の重要性が出てきて、地下水をたっぷりと保ち続けることの必要性や、雨水のさらなる有効利用が求められるようになり、各戸に雨水をためる装置をつけようという時代になってきた。ホームセンターでも屋根からの雨水をたくわえるタンクを売り出している。ぼくは、それを購入するにはお金もかかることだから、自分で地面に穴を掘り、自然石をコンクリートでつなぎながら積み上げて、小さな池をつくっている。梅雨期の雨水をためて、水の不足する夏季に使おうという考えだ。