あゝ おまえはなにをしてきたのだと

 海三郎君から本が送られてきた。藤沢周平の作品について何冊もの評論を書いてきた彼、今度は「藤沢周平が描いた幕末維新」(本の泉社)だった。
 「‥‥大変動の時代に人はどう生きたのかを藤沢作品にたずねる旅は、楽しいようでいながら、
 ‥‥考えるに余る問いに、しばしば気持ちが塞がれることもありました。3.11への応答もまた、じぶんのなかに課題としてあり‥‥」
 海三郎君の執念を感じる。藤沢周平とその作品に登場する人物の生き方は海三郎君に連なってくる。現代という時代と社会に対峙しながら歯ぎしりする海三郎君の問題意識がそこにある。
 海三郎君は「あとがき」にこんなことを書いている。
「幕末維新を文学がどのように映しとってきたかは、以前から関心を持ってきたテーマだった。とくに、『敗者』とされた側からは何が見えるのかを、自分のなかに積み上げてきた『正史』を批判克服する意味でも、大切に思ってきた。‥‥
 あの日(3.11大震災)の一週間前、私は山口県萩市にいた。泊ったホテル近くの公園に中原中也の詩碑があり、『帰郷』の一節が彫られていた。
 『あゝ おまえはなにをしてきたのだと‥‥
  吹き来る風が私に言ふ』
 私はとんでもない思いちがいをしていたことに気づかされた。ずっと、
 『おまえは何をしていたのだ』
と覚えていて、故郷とはいいものだ、何をやってもあたたかく包んでくれる、中也もうれしかったろう、などと思っていた。そうではなく、中也はきびしく叱責したのだ。
 数日後、日本列島が揺れた。
 三陸の海が盛り上がって人びとを襲い、福島原発が爆発した。
 ――あゝ おまえはなにをしてきたのだ――中也の詩句が、不意に浮かんだ。
 現代は、幕末・維新期に劣らない激動と転換にある。現代資本主義がそのままではもはや通用しないといわれるなかで、どのように新しい社会を構想し、実現するかをめぐって、超ナショナリストたちの動きはグロテスクだが大きく速い。‥‥
 おまえはなにをしてきたのだ――のちの時代や歴史のむこうからそう言われないように、あの時代も今の時代も、東北の人たちの悲しみは私たちのそれなのだから‥‥、そのような思いを込めながら‥‥。」
 海三郎君は、藤沢周平作品「一茶」をもとに、信濃出身の俳人一茶について書いていた。
 江戸時代、江戸は百万都市だった。当時、ロンドン86万、北京90万、パリ54万、ニューヨーク6万であったとか。この江戸の町人の3割は江戸以外の出身者で、出稼ぎ人が34000人、それらの多くが信州人だった。寒冷の夏の凶作、浅間山の噴火、食う物なく勃発する百姓一揆、なすすべもない農民は江戸に流れた。しかし、江戸の暮らしもままならず、一日働いても米三合も買えない。町方は徹底した無宿人狩りをした。「シナノモノ」「ジョウシュウモノ」という奇妙な語が流布した。
 一茶も俳諧師をめざして江戸に出た。30歳、西国行脚の旅に出る。そして江戸にもどる。
 「どこへ行くのだ‥‥。風に吹かれて師走の町を歩いているのは、住む家も妻子も持たない三十六の男だった。」
 一茶36歳。
 「三十六、間もなく四十、やがて五十‥‥。さて、どこへ行くのだ。何ほどかのことをなし得るのか‥‥。」
     秋寒や行先々は人の家
 一茶は貧乏句をつくった。貧乏に取りつかれた自分をあざけりののしる。激しい無力感が襲う。四十歳になっても何事もなしえない。言葉に出せばすべて虚しい。
 一茶は故郷に帰り、北信濃の柏原を終のすみかに過ごす。藤沢周平の「一茶」はつぶやく。
「誰もほめてはくれなんだ。信濃の百姓の句だという。だがそういうおのれらの句とは何だ。絵にかいた餅よ。花だと、雪だと。冗談も休み休み言えと、わしゃ言いたいの。連中には本当のところは何も見えておらん」
 海三郎君は、一茶のこんな句をあげている。江戸の武家たちを見る庶民一茶。
     夕立ちや樹下石上の小役人
     春雨や侍二人犬の伴(とも)
     武士町や四角四面に水を撒く
     そっと鳴け隣は武士ぞ時鳥(ほととぎす)
「多少は同情も交えながら皮肉り、彼らに為政者がふさわしいのか、そうではあるまい、と見る庶民の視線」、一茶の庶民リアリズム。
 一茶52歳の句。
     このやうな末世を桜だらけかな
 一茶63歳の句。
     世が直るなほるとでかい蛍かな
     鳴くな虫直るときには世が直る

 中原中也の詩「帰郷」はこんな詩だった。



         帰郷

   柱も庭も乾いている
   今日は好い天気だ
       たるきの下では蜘蛛の巣が
       心細そうに揺れている


   山では枯木も息を吐く
   あゝ今日は好い天気だ
       路傍(みちばた)の草影が
       あどけない愁(かなし)みをする


   これが私の故郷(ふるさと)だ
   さやかに風も吹いている
       心おきなく泣かれよと
       年増婦(としま)の低い声もする


   あゝ おまえはなにをして来たのだと‥‥
   吹き来る風が私に言う



 「おまえはなにをして来たのだ」。中也の悔恨はフランスの詩人、ヴェルレーヌの詩句に共鳴した。ヴェルレーヌの詩「叡智」から。


   君、過ぎし日に何をかなせし。
     君今ここにただ嘆く。
   語れや、君、そも若き折
     何をかなせし。 
        


 海三郎君は淀川中学校二期生、ぼくは新任教師として、学校新聞部と登山部で彼と3年間を共にした。彼は後、文芸評論家として、また政治社会運動で生きた。
 彼が還暦を迎えた時に再会した。
     あゝ おまえはなにをして来たのだと‥‥
     吹き来る風が私に言う
 この詩句に、ぼくの心の針もまた共振する。あゝ おまえはなにをして来たのだと。