海三郎君がやってきた

 

 

 

 海三郎君が埼玉からやってきた。

 彼の頭はつるつる。私の頭は疎林、まだほんの少し毛がある。

 工房で話をした。今年初の薪ストーブに火を入れた。

 話はあっちへ跳んだりこっちへ跳んだり、

 「水岡君は本を買ってくれていますよ、奥さんが亡くなってから、元気がなくなってしまってねえ。辰巳君も本を買ってくれていますよ。」

 淀川中学校時代の私の教え子、海三郎君の同窓生、まったく行方の分からない人がいる。どうしているのだろう。

 「木下先生や、岡田先生に電話しても、つながらないんだよ。呼び出し音が鳴り続けてもだれも出ない。」

 「今朝、安曇野は深い霧だったなあ。ぼくの設置した『野のベンチ』に座って、霧の中で歌を歌ったんだよ。」

 

  霧だあ ほういほい

  朝霧だあ ほういほい

  霧の中から 日が出てくるよ

  だれか どこかで ほういほい

  朝霧だあ ほういほい

 

 「歩いているかい。」

 「いやあ、あんまり歩いていないです。」

 「やっぱり、歩いた方がいいよ。ぼくは毎日ストック突いて歩いているよ。山、登ってる?」

 「山にも登ってないですねえ。」

 彼は中学時代、学校新聞部員であり、登山部員だった。彼と時実昇君とは兄弟のように仲が良かった。その昇は、すでにこの世にいない。かれはもう七十代、電車でまだ出勤して、出版社の仕事をしている。ぼくの本の出版に骨を折ってくれて、その仕事がずいぶんハードだったから、出版後に体が悲鳴を上げていた。

 「体、大丈夫かい」

 「まあ、なんとか回復してきています。小さな出版社は、たいへんですよ。本を読まない、本を買わない人が増えて。」

 「そうだねえ。教員も本を読まないねえ。矢田で教員を今もしているマート君に聴くと、あの本をなかなか購入してくれないそうで。」

 とりとめのない話が続いた。

 「テレビ見ていても、このごろ、BGMが邪魔をして、せりふが聞こえないんやなあ。なんで、そんなにBGMを大きくするのか、NHKに投書を二度送ったけど、聴く耳持たずやなあ。目はものすごくよく見えるんやが。北アルプスの稜線の山小屋も見える。ところが耳の方は変化しとるなあ。せりふが聞き取れないことが多いなあ。」

 「補聴器を付けるといいですよ。よく聴こえるそうですよ。」

 「そうかねえ」

 「世界は、ますますきなくさくなり、怪しくなっているなあ。モスクワに乗り込んで行って、プーチンをどやしつけたいよ。」

二人ともそのことも気がかりだ。お昼ご飯を一緒に食べて、二時過ぎ海三郎君は帰って行った。