1月31日に亡くなったドイツのワイツゼッカー元大統領の追悼式の記事が新聞に出ていた。1985年5月8日の連邦議会でなされた大統領の演説「荒れ野の40年」は邦訳され、日本でも冊子になって多くの人に読まれたが、ぼくもそれを読んだときは胸が詰まった。
新聞にはその記事に併せて、ドイツのジャーナリスト、グンター・ホフマン氏のこんな論が載っていた。
「戦後40年当時のドイツは、過去の責任についての見解が国民の間でも一致しておらず、大多数のドイツ人は、ナチスの残虐行為を振り返ることを恐れていた。だが、ワイツゼッカー氏の演説で『われわれドイツ人は、過去に対して責任を負わなくてはならない』という意識を明確に持つようになった。」
ワイツゼッカー元大統領の感銘深い演説は、今も多くの人の記憶に生き続けている。
<五月八日は記憶の日である。記憶とは、ある出来事を誠実かつ純粋に思い起こすことを意味する。われわれは戦争と暴力の支配で亡くなったすべての人の悲しみを、とりわけ強制収容所で殺された六百万人のユダヤ人を思い起こす。戦争に苦しんだすべての民族、命を落とした同胞たちを思い起こす。虐殺されたロマや同性愛者、宗教的・政治的な信念のために死ななければならなかった人たちを思い起こす。ドイツ占領下の国々での抵抗運動の犠牲者を思い起こす。数えられないほどの死者の傍らで、悲しみの山がそびえ立っている。
歴史の中で戦争と暴力に巻き込まれることから無縁の国などほとんどない。しかしユダヤ人の大量虐殺は歴史上、前例がないものだ。
この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことを知ろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した。
ある民族全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。あの時代を生きたそれぞれの人が、自分がどう巻き込まれていたかを今、静かに自問してほしい。
ドイツ人だからというだけで、罪を負うわけではない。しかし先人は重い遺産を残した。罪があってもなくても、老いも若きも、われわれすべてが過去を引き受けなければならないということだ。
問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることはできない。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び汚染される危険に陥りやすい。
この国には、新しい世代が政治的な責任を引き受けられるまでに成長してきた。かつて起きたことについて若者に責任はない。しかし、その後の歴史で生じたことに対しては責任がある。
われわれ年長者は、過去を心に刻んで忘れないことがなぜ決定的に重要なのか、若者が理解できるよう手助けしなければならない。冷静かつ公平に歴史の真実に向き合えるよう、若者に力を貸したいと思う。
人間は何をしかねないのか、われわれは自らの歴史から学ぶ。だからわれわれはこれまでとは異なる、よりよい人間になったなどとうぬぼれてはならない。
究極的な道徳の完成などあり得ない。われわれは人間が危険にさらされていることを学んだ。しかしその危険を繰り返し克服する力も備えている。
ヒトラーは常に偏見と敵意、憎悪をかき立てるように努めていた。
若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や憎悪に駆り立てられてはならない。対立ではなく、互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。自由を重んじよう。平和のために力を尽くそう。正義を自らの支えとしよう。>
ワイツゼッカーも第二次世界大戦においては、ドイツ軍の兵士としてポーランド戦線で戦い、兄を失っていた。
ぼくは昨日、家内が録画してくれていたひとつのドキュメントを観た。ドイツとイスレエルの共同制作になる映像は「ヒトラー・チルドレン ナチスの罪を背負って」というタイトルだった。監督は、親族をホロコーストで亡くしたユダヤ人であった。ドキュメントは、ナチスの重要人物の息子や孫に当たる5人を取材している。ナチス幹部の子孫であるがゆえに、今もなお彼らは戦争犯罪を背負って生き続けている。「ヒトラー・チルドレン」、重い映像。
ヒトラーの後継者ゲーリングの残虐性を血統に受けついでいるかもしれないと、兄とともに避妊手術を受けた子孫。ナチスの親衛隊長ヒムラーの弟の孫カトリンは、ヒムラーの過ちへの罪悪感を綴った本を出版した。アウシュヴィッツ強制収容所の所長だったヘスの孫ライネル。父は収容所敷地内の邸宅で育った。アウシュビッツを初めて訪ねたライネルは、その邸宅から壁一枚隔てた場所にガス室があったことを知り絶句する。そこへユダヤ人の子どもたちがアウシュビッツの見学に訪れてくる。ユダヤ人の子どもたちは、イスラエルからやってきた生徒たちのように見えた。数十人の生徒たちは一室に入って座る。驚くべきことに、それはライネルとユダヤ人生徒との対話の場であった。ライネルは、ユダヤ人生徒たちの前に立ち、自己を語っていった。それを聞いた生徒たちから質問が投げかけられる。一人の女子生徒が質問する。「今ここであなたの祖父に会えたらどうしますか?」、ライネルは答えた、「自分のこの手で殺します」。一人の老人が近づいてきた。ホロコーストの生存者だった。「ライネル、あなたと握手したいがよろしいか?」、握手を交わし老人は言う、「君がやったわけじゃない」と。二人は抱き合い、男性はあふれる涙をぬぐう。
加害者の子孫と被害者の子孫との対話。ユダヤ人生徒たちは「ヒトラー・チルドレン」の苦しみを理解し、両者は悲しみを共有したのだった。ぼくはここにも、ワイツゼッカーの精神を見る。
今日、もうひとつ重要なニュースがあった。ウクライナの戦闘を止めるための、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランス四首脳の会談。それは11日午後8時に始まって、翌日の正午まで延々16時間、徹夜で、休みなく、ぶっ続けで話し合い、そして15日停戦で合意した。
ぼくは、この四人の熱意というか執念というか、何としても結論を引き出さずにはおかないという覚悟に心打たれた。実際にどのように展開するかは分からない。しかし、ここまで四人がとことん討議したということ、そこに大きな希望と価値を見る。そしてここにもワイツゼッカーの精神を見たのだった。