「どのような教育が『よい』教育か」


 今年八月に出版された「どのような教育が『よい』教育か」(苫野一徳 講談社選書メチヘ)は、実に明晰な論理を展開して、よりよい教育を導きだす教育哲学の力作である。一度読んだだけでは、充分咀嚼できないところがあるが、これまで教育の現場におりながらあいまいなままにして、それがゆえに間違いもしてきた自分の教育実践とその考え方に光を当てられた思いがする。もう一度読み返してみたい。
 「教育とは何か、そしてそれは、どのようにあれば『よい』といいうるのか。」
 「現代教育学の世界では、この問いに絶対的な答を見出すことは不可能であるということが、半ば常識となっている。」
 苫野は、これに真正面から挑んで、みんなが納得のいく解を提示する。
 教育実践に携わっている人にとって、これは必読の書である。

 
 論の中に、書きとめておきたい文章があった。ここに書いておこう。

 20世紀のドイツの教育哲学者オットー・フリドリヒ・ボルノーの論である。
悲惨な大戦の時代を生きたボルノーは、次のように書いている。


「教育における最も重要なキーワードは、『信頼』である。
人間への不信や絶望が支配する時代にあって、
それでもなお、私たちが生き続けなければならないのであるとするなら、
意義深い生を欲するのであるとするなら、
私たちが失ってはならないものがある。
それは『希望』だ。
人はどうしたら『希望』を持って生きていくことができるのか。
その最大の条件は『信頼』にある。
自分を信頼し、
人を信頼し、
社会を信頼し、
そして未来を信頼することにあるのだ。
しかし、
人を『信頼』し、自分を『信頼』することは、とても難しい。
この不信の時代にあって、
私たちはどうやって信頼を手に入れることができるだろうか。
それは、『信頼される』ことを知ることによってである。
ここにこそ、教育の最も重要な役割があるのだ。
幼い子どもたちの教育にかかわる教師は、どこまでも子どもたちを信頼できるのでなければならない。
そのことによって、信頼しあうことの希望へと、子どもたちを育んでいくことができるのでなければならない。」


どんなに裏切られ裏切られしても、
子どもたちを信頼し続けること、
信頼する意志を持ち続けること、忍耐強く持ち続けること、
信頼と忍耐は、時代を超えた教育の秘訣であり、
教師にとって最も重要な資質であると、苫野もまた強調する。
絶望のふちに沈み呻吟する自分を見つめながら、戦争の時代を生きのび、その悲惨を生み出したものへの怒りと恨みを持ち続ける者にとって、
生きる力はどうすれば生まれてくるのか。 
生きる力は希望によって育まれるのだ。
その希望は、信頼する人がいる、信頼してくれる人がいるという生活の中で生まれてくる。
教師は、自分の生をかけて忍耐強く信頼し信頼される人として、実践するものであらねばならないということなのだ。
親ならばそれは当然のことである。


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