教師は旅をせよ

michimasa19372008-11-25





家と学校とを往復する毎日では、創造的な教育はできない。
学校を出るとそのまま家に直行という人が多くなったのは1990年ごろからだろうか。
家庭を大切にする、というのはいいことだが、職場を離れた教師同士の付き合いもまた必要で、それがコミュニケーションを深め、教育創造に反映する。
毎月一度、教師仲間の交流と研究会の場「寺子屋」をやっていたのは、ぼくの40代のころだった。
大阪市の寺を借りて、文字どおり寺子屋
寺の住職はもと同僚の教師だったから、趣旨に賛同して境内の一部屋を貸してくれたのだった。
寺子屋」には小中学校の教師たちが実践を持ち寄って、多いときには40,50人が集まることもあった。
そこでは、ふだんの教育の悩みや失敗や行き詰まりが、遠慮なく出し合われ、
やってみた実践を他の教師に聞いてもらって、意見を聞くことができ、
勇気と希望、新たな意欲を湧き起こす場になっていた。


学校の職場だけの付き合いでは、限られた実践にしか出会えない。
そこでの存在感の強い人の考えや感性や、指導の仕方が、職場の多くの人に影響を与えることがしばしばある。
学校の気風、作風というのは、そうして知らず知らずにできてくる。
まちがった教育や行動が当たり前のようになっている学校で、批判する人がいないのは、波風を立ててぎすぎすしたくないという職場の狭い人間関係の馴れ合いから来ることもある。
上役や先輩の言うことにさからえないということもある。
教育を議論したり研究したりして新たな実践を生み出していこうとする意欲がなえてしまうほど、
職場集団が沈滞し、ばらばらな気風になっているところもある。


だから、外の風に触れることが必要で、
異なる考えや創造的な実践に出会うことは、自分の教育指導を高めることに欠かせない。


子どもたちが自分たちで、自主的自発的に学習を展開していく、目を見張る授業を見たのは、
教師になって4年目だったか。
夏休みにロジャース理論のカウンセリング研究会に参加し、そこで学んだことが発端だった。
子どもたちは恐るべき意欲で勉強を繰り広げていく中学校、それは広島県の学校だったが、
そこを見学したいという希望を出すと、ぼくの学校の教頭は快く出張扱いしてくれた。
手紙を出すと出張先の学校も、どうぞ来てくださいと歓迎の返事。
駅前旅館に一泊して翌日学校に向う、雪の日だった。
朝の登校時から夕方の帰宅時まで、自由に、どのクラスに入って授業を見てもOKと、校長の度量も大きい。
この見学で得たことは、生徒の自発性を引き出すにはどうしたらいいか、
自発性を引き出せば、子ども同士の学びが目を見張るほど活発になっていくことだった。


教師になって6年目には、学生時代の山岳部の仲間とヨーロッパからインドまでの、車を使う旅に出た。
趣旨は、現地の教育視察。計画には学校訪問も組み入れた。
教育委員会に夏休みを入れて2ヵ月半の長期休暇を願い出ると、
公務員の職務専念義務からして、休暇にはできないという。
何度か教育委員会に出向いて、折衝した結果、なんとか職務免除の扱いにしてくれた。
ヨーロッパからアジアへ、山岳地帯や砂漠地帯を越えて行く、半分は野宿の旅だった。
ギリシアでも、トルコ、イラク、イランでも、素朴な温かい人情に触れる平和な旅だった。


8年目、印象的な学校見学は、岐阜県の学校だった。
全校上げてバズ学習を行なっていた。
班学習の一種で、設問について班で自由に討論する、
討論のときは、教室中がわいわいと沸騰する。
バスというのは、ハチがブンブンと翅をならすことで、
そのように生徒が討論する。
これも帰ってきて自分の実践の一つに取り入れた。


そのほかも、いろんな学校を訪ねていった。
スウェーデン、ネパール、中国、
埼玉、東京、福岡、
そして書物で先人の実践に学んだ。
今、教師が自由に旅をすることが出来ないとなれば、
教育は停滞する。


教育を語り合う仲間を作ること、
教育を訪ねる旅に出ること、
観光旅行ではない、体験旅行がいい。