住民自治の姿


昨日は、居住区の自治会費を納める日であった。公民館へ行って、事務机に座って徴収している区長のOさんに後期区費を支払った。
金を受け取った区長は、「はい、投票用紙」と言って、一枚の紙切れをぼくに手渡し、区長の正面の壁を指差した。ひょっと部屋の反対側を振り返って見ると、壁に六人の候補者名を書いた紙が貼ってある。
そうか、今日は来年の区長を選出する投票の日だったのか。
その下に置かれた机は、区長から受け取った投票用紙に名前を書くようになっていて、紙製の箱を利用した投票箱が置かれている。
例年後期の区費徴収日が来期の区長選挙の日であったのだ。
それにしても、今日が投票日であるという正式なお知らせはあったのかな、と思いながら、ぼくは六人の候補者の名前を見つめた。
知っている人が一人もいない。この地に来て五年余、顔は知っていても、名前は知らない人が多い。この六人から三人の区長を選ぶのだが、どんな人かも分からず情報もない状態では、選びようがない。
「知らない人ばかりで、投票のしようがないですね。」
そう区長に声をかけると、
「そうでしょう。」
と笑顔で答えたけれど、特段の説明はなかった。
区長は三人制、任期は一年、区は市の行政の末端組織として位置づけられ、直接市民の暮らしにかかわる区の活動は、かなり重いものがある。
福祉、防災、環境、健康、さまざまな内容がある。
区の役員には一定の手当てもつくが、自分の仕事を持ちながら、区の仕事を行なうことになるから、この任務に就くことに多くの人は躊躇もする。
170戸の住民を組織しているこの区のなかから、毎年3人を選び出す大変さもあるだろう。


だが、この6人についての情報が全くオープンにされていないのは、なぜだろう。
どうして6人の候補者が出たのだろう。ぼくがこの地に来てからこれまでの4回の選挙は、すべて3人の候補者だけで、信任投票であった。
それが、来年度区長は、6人の候補者だ。
自分の意志による立候補なのか、現役員からの推薦なのか、
6人はどのような人で、どのような考えを持って候補者になったのか、
何も分からない。
このことは、今後の議論の素材だ。
ぼくは白紙投票をせざるをえなかった。


田舎は地縁、血縁のつながりが強い。
同じ地域に生まれ育ってきた人たちは強い関係性をもっている。同姓の家が何軒もあり、本家と分家の関係もある。大昔は親戚だったかも知れないが今は親戚付き合いはないという同姓の人たちもいる。小中学校の同窓生がいて、先輩後輩の関係があって、長い風雪を生き、この地域を開いてきた人たちが区の活動も担ってきた。
奈良の御所に5年間住んだとき、その区は同じ人物が20余年、区長を務めてきた。会社の社長で村の旧家、有力者だった。そこに在住した最後の年に、その区長は新しい人にバトンを渡したが、長年の体制は自治会活動をすっかり沈滞させてしまっていた。
ボスの君臨する集団は、権力を持つものと、それを支える取り巻きとによって一体化を図ろうとし、異論、異端者をはじきだして、強固な構造をつくろうとする。
しかし多くの地方の村は、相互扶助の関係性を一体化の要にして生きてきた。妥協、同調をもって、秩序を維持してきた。
だが、現代社会の矛盾、行き詰まり、崩壊の予兆は急ピッチで進んできている。
異論を受け止め、議論を重視し、みんなの考えで道を開いていこうとする考えが市民のコンセンサスとならなければ、この現代社会の混迷を打開することはできない。
信州に来て、地方の居住区の自治会に参加し、一縷の光明を見出す思いがある。議論を自治のベースにする作風がここにはあると感じるからだ。
今暮らしているその地その地の自治組織、そこから作り出していくものが、地方自治体を改革し、国政につながっていくように、身近なところの変革が必要だと思う。



岩手県大槌町は復興のひとつの節目を迎える。
町内の10地区が、それぞれ二ヶ月かけて検討してきた復興計画の素案を持ち寄る。前町長をはじめ、住民の一割近い、1300人余りが犠牲になった町が、再起へまた一歩を踏み出す。
コンサルタント会社が地区毎に描いた複数の復興計画のたたき台を、隔週末に地元の体育館などで、数十人から時には百人を超える住民が、図面を囲んで車座になって議論してきた。
町の原案に住民の同意を求める手法ではなく、町民に決めてもらう。そのため、町職員は発言せず、大学教授ら第三者が進行役を務めた。
住民主導にこだわったのは、8月に選ばれた町長だ。
『まずは住んでいる人たちに議論してもらうのが基本。それが自治ということ。』
役場機能を失い、復興に出遅れた町が行き着いたのが、拙速を避け「自分たちで決める」という自治の原点だった。
今、各地にさまざまな住民参加が広がりつつある。
地方議会を傍聴する住民が、議員の仕事ぶりを、通信簿や白書で評価する動きが、仙台市川崎市尼崎市などで盛んだ。
無作為に選ばれた住民が地域の課題を話し合い、役所に進言する『市民討議会』も増えている。‥‥全国55箇所で、市役所の跡地利用法や子育て政策などを議論してきた。
ただ、こんな元気な住民の活動は、まだまだ少数だ。ほとんどの市区町村では、『役所頼み』『議会任せ』という『自治の丸投げ』が当たり前だ。‥‥
四年に一度の選挙で知事や市町村長、議員を選ぶ。それだけで私たちは主権者といえるのだろうか。もっと役所や議会との距離を縮めよう。
まずは議会だ。落選したときを考えれば、一般の勤め人は出にくい。だから‥‥住民構成とかけ離れた議会になる。住民は関心を抱かず、不信感を募らせる悪循環に陥っている。
住民投票制度も進化させる。あらかじめルールを決め、一定数の請求があれば実施する常設型を増やそう。‥‥
自ら参加して、考え、判断して、決めて、その責任も負う。そんな自治へのかかわりが、私たち自身の『政治』を鍛える。」(朝日社説12.4)


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