リンゴの一個


シーちゃんが亡くなった、と北さんが電話をかけてきたときに言った。シーちゃんは北さんやぼくの山岳部後輩になり、シーちゃんの姉と北さんは結婚したことから彼は義兄にもなる。シーちゃんは長いガンの闘病を経て力尽きた。
12月に山岳部のOB会がある。そこに来る者たちに、シーちゃんをしのんで信州の何かささやかな小物を贈りたい、何かないか見つけて送ってくれ、と北さんは言う。
何があるかねえ、と考えるが、適当なものを思いつかない。物が有り余っている時代、もらってうれしいものなんて、何がある?


日が暮れて暗くなった山沿いのリンゴ畑の道を車で走っていて、ひらめいた。
そうだ、リンゴの大きなので、みずみずしい味のもの、紅く輝く見事な一個、そうだ、その一個、それを気の利いた小袋に入れ、リボンで結んだものはどうだろう。
かつて彼らも、アルプスの山顛にあこがれて山に入った。
その麓、安曇野のリンゴ畑からの贈り物だ。
それが、いちばん夢があっていいじゃないか。
たったの一個だからいい。それを持って帰って、テーブルの上に置き、彼らは静かに青春時代の山を思い出すだろう。


北さんにその名案を伝えようと電話すると、奥さんが電話に出て、
「最初、主人もリンゴを送ろうかと言ってたんですよ。でも、リンゴをそれぞれ袋に入れて、それを会場までもっていくことができないのであきらめたんです。今日は主人は温泉に行きました。」
と言うことだった。
「それでは、こちらで全部準備して、会場に送ります。」
というと、奥さんは大喜びだった。
近くのスーパーに行って、リンゴの大玉一個を入れる小袋を探すと、ちょうどそれにぴったりのが見つかった。
ぼくは大阪の会に参加しないが、これで少しは役に立つ。
リンゴは15個から20個ぐらい、
香り高い、珠玉のリンゴを見つけよう。


高村光太郎の詩を思い出す。


        山からの贈物


   山にありあまる季節のものを
   遠く都の人におくりたいが
   おくらうとすると何もない。
   山に居てこそ取りたての芋コもいいし
   栗もいいし茸もいいが
   今では都に何でもあって
   金がものいふだけだといふ。
   それではいっそ
   旧盆すぎて穂立をそろへた萱の穂の
   あの美しい銀の波にうちわたる
   今朝の山の朝風を
   この封筒に一ぱい入れよう。
   香料よりもいい初秋の山の朝風を。



光太郎の詩は、初秋のものだが、今信州は初冬の風が吹いている。
一個のリンゴに、メッセージをつけよう。
白馬連峰から鹿島槍まで、真白き山嶺は朝日に輝いています。」




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