中沢義直さんに出会う


同じ居住区に、著名な写真家・中沢義直さんが住んでおられることを、先の日曜日まで知らなかった。
その日、午前11時から地区の「高齢者お楽しみ会」が催され、会食を共にしながら出しものを楽しみ、ぼくも加わっているコーラスの会も発表したのだが、会のとっぱなに御年89歳になった中沢さんがあいさつされた。
中沢氏は梓川村で生まれ、プロの写真家として山岳、スキー、風景の写真を国内、海外で撮り続け、発表してこられた。在京40年の後、安曇野の常念山麓に移り住み、悠々自適で活動しておられる。
「米寿記念に出版しました『安曇野雑記』という写真とエッセイの著作を参加者全員にプレゼントします。」
というわけで、思いがけない本をいただいたのだった。


中沢さんの写真集『堀金村生活記』は、温泉宿の「ホリデーユー」の売店に置かれていたのを立ち読みしたことがあった。昔の村のなんとも懐かしく、美しい写真集であった。今回いただいたものの中にも、たくさんの写真が入っていて、読み出したら止まらなくなった。
肩のこらない、飄逸な文章で、すいすい読める。
本を読み進めるうちに、そうかあ、中沢さんの家はそこなのかあ、と新発見の驚きだった。
ぼくは中沢さんの家の前を、散歩のときによく通っていたのだ。薪ストーブの煙突が、大きな建物の屋根から突き出ていて、この建物はいったいなんだろうと思うような、およそ普通の民家らしくない建物だった。大きな作業場だな、いや倉庫かな、しかしよく見ればデザインは山荘風だしやっぱり民家かな、と不思議な思いを抱きながらその前を通過すると、一頭の犬がいて、ぼくがランを連れていても、吠えもしないでこっちを眺めている。
「あの子、おりこうだね。」
とランに語りかけたこともある。ランはその犬を見ながら、「クウ、クウ」と喉なのかどこか分からない、食事のとき待ちかねて出す声のようなのを発する。
その犬はトムという名前だった。
中沢さんの家の横には、秋になるとリンゴがたわわに稔る。それも中沢さんの力作だった。ザクロ、ウメ、ブドウ、ナシ、サクランボ、ブラックベリー、クリ、いやはやたくさんのものを作って、スローライフを堪能しておられるのに感心する。


本を読んでいると、中沢さんの安曇野観にも興味をそそられる。
共鳴するところも多い。


安曇野は美しいところである。その素晴らしさは、風物の調和にある。調和の原点は残雪豊かな常念山脈があるからだ。
だが安曇野のどこが美しく牧歌的風景かというと、そうではない。特に最近は、調和のある安曇野を代表する風景を発見することが難しくなってきた。‥‥やさしく曲がりくねった春の小川も消えてしまった。大小さまざまな形の田んぼもすべて同じ形にされ、自然と人間が共同で作り上げた造形の美しさが失われた。茅葺屋根の民家はほとんどが味気ない住宅に変わってしまい、田園に不釣合いな眺めとなった。‥‥
安曇野の風物と風景を守り、残すには、どんな方法があるかをみんなで考えるべきだと思う。‥‥安曇野という美しい言葉は近い将来に死滅してしまうのではないかと思う。」


中沢さんの憂えるように、このまま行けばそうなってしまうだろう。最も必要な手を市民も行政もうっていないからだ。行政のうたい文句だけは高らかだが、コマーシャルのようなもので終わってしまっている。市民の意識も変わらない。この地方全体の環境や景観を市民が誇りに思えるものにし、暮らしていて互いに幸福を感じるものにしていくには、理想を掲げ、法則性や理念を見出し、具体的な手立てを共通理解して実践に移す、そのための実践プランなしに、「美しい日本の安曇野」は実現できない。



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