焦土のなかで <昭和20年、かの日>




東日本大震災の姿は、さながらかの日そのものだと、記憶は叫ぶ。
1945年、日本の都市はほとんど焦土と化していた。
『昭和万葉集 巻七』(講談社)、敗戦直後の歌をよむ。


焼跡に焼けたるものを集め建つ天地根源づくり小屋一つ

                        藤沢古実


「天地根源づくり」は、「日本の原始的な住宅建築様式であり、屋根を地表までふきおろしたものである。何もかも焼けてしまった焦土に、人は生きるための歩みを始めた。そこにあるもの、焼け残ったものを利用して、雨露を防ぐ小屋を作り、戦後の暮らしは始まったのだった。
焼跡にぽつんと建った小屋一つ、それが一つの希望となった。


焼けあとの日の暮れ方に人ら住む壕(ごう)の外にて炊ぐ(かしぐ)火が見ゆ     
        関口登紀


戦時中、人びとは空襲に備えて、土を掘って防空壕をつくった。空襲が始まると、その防空壕に避難した。
防空壕に入っても、爆弾の威力に耐えられず、そのなかで死んだ人も多かった。
戦争が終わったとき、防空壕で雨露を防いだ人もいたのだ。
壕の外で夕方、火を焚いて何かを煮ている人がいる。生きようとする人のひたむきさ。


やけあとにころがりてゐしドラムかん錆(さび)おとし穴うめて風呂桶となす 

                       金子一秋


焼跡に転がっていたドラム缶の錆を落として穴をふさぎ、それを使ったドラム缶風呂の湯につかったときの幸福感、それがまた生きる力の源となっていった。



焼跡に遮る(さへぎる)ものなく風吹けり妻子を呼びて住まむ日はいつ  

                      山根次男


焼跡に、今は何もない。だがここにまた妻子を呼び寄せて住む日が来るだろう。いつのことか分からないが、一歩ずつ一歩ずつ、前に進みながら、人は暮らしを築いていった。



焼跡のどこにも生(お)ひてつき草の朝しばらくの花を咲くかも   

                     筏井嘉一


「つき草」は露草のこと。夏、青紫のちいさな花が咲くが一日でしおれる。短い命だが、露草は焦土に芽吹いて広がっていった。
焼けつくされた焦土にも、自然は命を芽吹かせる。大津波の被災地にも、やがて芽吹きの日が来るだろう。


をみな等も木こり畑打ち肥かつぐこの荒浜ぞ吾のふるさと

                        萬造寺斉


「をみな」は、女。それまでこのような荒仕事をしたこともない女性も、木を伐り、畑を耕し、下肥をかついで働いた。
この荒れ果てた浜も、私のふるさとだから。
ふるさと、そこに人は集い、力を合わせ、新しい暮らしを立ち上げていくのだ。
ゼロからの出発は、過去の検証の上に立った希望の発信であらねばならない。
東日本大震災は、自然災害と共に、人災が深くかかわった大災害なのだ。防災対策は、単に防災対策であってはならない。
根底から、人間の未来を見据えた、新しい国づくり、社会づくりを考えなければならないのだ。


わが母を焼きしこの野によもぎ萌えなづな花咲く春となりにき 

                       浅野晃 


家族を失った人たちの悲嘆は癒えることはない。
悲しんで、悲しんで、やがてその悲しみの中から、希望が生まれてくる。
被災地の人たち、救助に立ち向かっている人たち、その姿には、ここから立ち上がろうとする力が、にじみでている。
この国の希望、地球人の希望。