民衆は必ず決起するだろう

 

    第二次世界大戦時の米軍による大阪大空襲を、私は体験しているから、ロシアの侵略で破壊され焼かれているウクライナの街をテレビで見ると、心身に強い痛みを感じる。

    戦時期を生きた人の恐怖の記憶は消えることはなく、人類学者で解剖学者でもあった香原志勢は、旧制高校の学生時代、東京大空襲を体験し、後にそれを著書「石となった死」のなかに書き残している。その一部。

 

   「母と妹の慈子は、防空壕の中で焼け死んだ。母は慈子を胸に抱いて、両膝をつき前へ倒れるように死んでいた。上半身は焼け方がひどく、髪は焼け落ち、頭蓋骨が炭に変じていた。肌は焼けただれ、異様な赤みを帯びていた。慈子の顔は、恐ろしいまで白く、恐怖と苦痛で泣き叫んだのだろう、口は固く閉じていた。

 父と私は二人をボロ布に包んで運び出し、焼け跡の上の山に安置し、二人一緒に荼毘にふした。二人の骨は炭の間から拾い、一緒に壺の中に納めた。

 沖縄には米軍が直接上陸し、民衆を巻き込んだ戦闘になっていた。だが、沖縄戦の詳細を、当時の私は知るべくもなかった。日本の軍人は、本土決戦を唱え、戦争指導者は負け方を知らなかった。

 8月6日、9日、原爆が投下されたことを知った。

 そして8月15日、敗戦。その詔勅は、高校の校庭で聞いた。友達の一人が、

   『これで、よい国になるよ、しっかりやろうよ』

と言った。私も心からそうだと思った。級友たちの顔は明るかった。

 11月、姉が栄養失調で死んだ。顔には苦しみの表情はなかった。ローソクの火が燃え尽き、そのまま消えていくように息を引き取ったのだろう。新聞に米占領軍の司令官の言が載っていた。

 『春までに、1000万人の日本人が餓死するだろう。』

 世の中は無法状態になった。」

 

 日本人には、その時の体験が、国民の記憶として残っている。

今のウクライナの状況は、日本全土の空襲と焼け跡の悲惨を思い出させ、ロシアの支配者の状況は、日本軍部の状況を思い出させる。

戦闘が続いている。砲弾、爆弾、ミサイルによって、殺され、破壊され、焼かれている。

 ロシアでは報道が規制され、真実を消され、政権のプロパガンダが支配している。

しかし、遠からず状況は変わるだろう。民衆は必ず決起するだろう。