今何が起こっているのか



ランを連れて、国営アルプス公園の拡張予定地に行った。
そこは里山の直ぐ下、いずれ公園になるのだろうが、まだ工事も何も進んでいない棚田で、「公園予定地のために動植物の採集を禁ず」の札がいくつも立てられている。
その境界に沿って歩いた。
広大な敷地には枯草がぼうぼうと生えている。
この4月から始まるNHKのドラマの撮影セットが敷地内に残されていた。一軒は小さな藁屋根、その隣には水車小屋があった。
白い一台の軽トラックが、公園予定地の棚田の上のほうに止まっている。
何をしているのだろう、不審に思って道を上っていくと、運転台にひとりの男性が座っていた。
話しかけると、初老の男は、村や野を見下ろしながら思索にふけっているのだと言った。
もう何時間もここにいる、日本はたいへんなことになっている、日本はどうなるだろうか。
男は胸のうちをはきだすように語り出した。
「この土地は、公園用地として十年前に国が買い上げたんですよ。けれどこういう状態です。これからも草ぼうぼうでしょう。」
今の国の予算状態ではこれからも続くだろう、と言う。
「そんなことよりも、もっと大きなことが気がかりです。この危機にあっても、政治家たちは危機を乗り切るために力を合わせることをしない。一つになってやろうともしない。彼らは多額の報酬を得ながら、ただ他党の足を引っ張ることばかりやっているんだ。彼らどれだけ収入を得ているか知っていますか?」
党利党略の政党、日本は崩壊するかもしれないというのに、その危機をも自覚しない連中ばかりだ、と彼は嘆いた。
その主張には同調するところが多かった。
むなしい、と彼は繰り返した。
夕暮れが迫っていた。話しているうちに寒さがしんしんと身にしみた。


「こういう災害を受けて、人はなおここに住むだろうか。」
と、宮城県南三陸町長の佐藤仁さんが語り、
「怖い思いをし、家族を亡くした人が、何が何でもこの地に住みたいかといえば、そういう心境ではないかもしれない。低い土地に、新しく家を建てる人はまずいないだろう。」
と、岩手県陸前高田市長の戸羽太さんが語る記事(朝日)を読んだ。
宮城県石巻市では、生き残った人たちがどんどんふるさとを離れているというニュースが(25日)出ている。
予測できない自然の猛威に対し、今後完璧な防災対策を取れるかどうか、それは不可能かもしれない。これだけ壊滅的な打撃を受けた以上、海岸に面した市町村はもう元に戻れないかもしれない。
災害前の元の街への復興をめざすよりも、津波の到達しない内陸部へ移転という事態になるだろうか。


でも、人びとの「ふるさと」への思いは、断ちがたい。
必ず「わがふるさと」を復興させると、涙を振り払って語る人もいる。
我を産み、我を育ててくれた「ふるさと」を滅びさせてなるものか、と。


福島県は、放射線という目に見えない恐怖が、居住地を逃れ出る人の群れを生み、それは加速することを予感させる。
チェルノブイリ事故の場合、地域はゴーストタウンになり、たくさんの子どもたちに甲状腺ガンが発症した。
その子どもたちを救済してほしいと世界に呼びかけたベラルーシの願いに応じて、日本から医師たちやボランティア活動家たちが現地に飛び、日本国内でも子どもたちを受け入れた人たちがいた。
そして今その危険は日本の原発に迫っている。


かつて日本には原発反対論者がたくさんいた。
しかし、経済発展復活への国民の願望が、原発依存意識を強め、原発反対論は影を薄くした。
福島原発事故が最悪の事態になれば、被害は日本全体に及び、世界に深刻な影響を与えることになる。
安全神話は危機への道程となった。


古代バビロニアの地に、人類は天まで届くような塔を建てようとして、神の怒りに触れた。
神はそれまで一つであった言語を乱し、人間が互いに意思疎通できないようにした。
文明の背後に潜む人間の自己過信や高慢、おごり、それへの警鐘としてとらえられた旧約聖書の物語。


親、家族を失った子どもたちを我が家に受け入れられないか。
また地域の施設に、被災者、避難民を受け入れられないか。
10日前、安曇野市安曇野社会福祉協議会に提案をし、22日の「地域づくりワークショップ」で協議した。
今日、市長の無線放送があり、市民ができる援助活動の中に、義捐金や物資とともに、空いている家や部屋を提供できる人という内容が入った。
里親になる、ホームステイを受け入れる、その短期・長期の支援がこれから実現できるかどうか、その実行段階が近づいたようだ。