祈り


トイレに行くと、しんしんと冷えた。氷点下6、7度は行ってるなと思う。
時計を見ると午前4時を回っていた。まだ外は暗い。それから布団の中で考えていた。
寝具の中は暖かい。だが今このときも、被災地の人たちは、暖房も電気もなく、空腹のまま寒さに耐えている。


被災者の心を占める困苦、悲嘆、絶望、虚無、
身は憔悴し、破壊されていくだろう。


消えた街をさまよいながら、家族の名を呼びつづけ探す人たちがいる。
自分の家族も家も失いながら、、避難所で救援活動をしている中学生、高校生がいる。
乏しい食べ物を分け合う人たちがいる。
放射線を発し続ける原発に決死の覚悟で挑む人たちがいる。
瓦礫のなかで活動し続ける救助の人たちがいる。
みんな、みんな、祈っている。


計画停電で電車の止まった街のなかを、黙々と歩いて我が家に向かう東京の人たちの姿にも、
祈りがある。
テレビの報道に涙する人の心にも、祈りがある。
世界から届く励ましの声にも、祈りがある。
スマトラ地震のときの恩返しの機会を与えていただきたいです。」と語るインドネシアの人。
千羽鶴を折りながら、「日本、がんばれ」と書くタイの少女たち。
黙祷を捧げるヨーロッパの人たち。
みんな祈っている。


絶望のなかに、いやしが訪れ、諦念が芽生え、
そして希望が生まれるまで、
祈る。


祈るしかないのです。
絶望の中で、心が向かうのは祈りなのです。
祈りは無力ではありません。
祈りは、精神を立ち直らせていきます。
祈ることで、心は楽になります。
祈る心が、人と人とをつなぎます。
祈りから次の一歩が生まれます。


暖かい布団の中で、ぼくはそなんことを考え続けていた。
妻も目覚めているらしかった。
「トイレに行ってから、考えていたんだけど」
隣のベッドの妻が言った。
「被災地の子どもを我が家に受け入れようか。」
天涯孤独になった子どももいよう。
「いいね、受け入れようよ。」
一時的な避難も考えられるし、里子もいいではないか。
「今朝は、冷えたねえ。」
「冷えたねえ。」


思いは思い。思いから始まる。
実行可能か、現実的か、これから考えよう。