ふきのとう




敷石にする石を探して野道を行き、開墾時に出てきた石の野積みから平らな面のあるのを見つけて、一輪車に積んで帰ってくる。
大きい石は一度に5個ぐらいが運ぶ限度だ。
道路から工房までの10メートルほどの地面を少し掘って、これらの自然石を平らな面をつないで敷いていく。
石畳の小道造りだ。
ランも同伴させて、一輪車にリードを結び付け、何度も往復していると、向こうの田の畔を赤い服を着た人がときどき屈んではまた歩き出すのが見え、少し気にかかった。
今ごろ何だろう。
石運びを終え、ランと行ってみると、赤い服の人はおばさんだった。
手にポリ袋を持っていて、そこに何かたくさん入っているらしく、膨らんでいる。
おばさんは、怪訝そうに立ち止まって見ているぼくの顔を見て会釈をした。
「もう何か出ているんですか。」
「ふきのとう。」
と、おばさんは応えた。
「ええ? ふきのとう?」
夜は零下の世界、雪もよく降った。春はまだまだと思えるような寒い日だった。
「もう出ていますよ。ほれ、こんなに」
「へえ、もうそんなに出ているんですか。」
しかし、そこらを眺めてみても、ふきのとうの姿は見えない。
「12月から採りに来る人もいますよ。30年、ずっと私は毎年摘んできたから、どこに出るか分かっているで。ほれ。」
水路の脇の枯草を小鎌で掻き分けると、ほんにふきのとうだ。
おばさんは小鎌で切り取った。
辺りにあったふきのとうを、おばさんは手のひらに乗せて、ぼくにくれた。
いつのまにか春はやってきていた。
おばさんは、ランと散歩する道の途中に住んでいる人だった。
「この辺りは、昔私がここに嫁いで来た頃、ホタルがわんさと飛び回っていただがね。」
「へえ、そうですか。今はその姿は全くないですねえ。」
平野部は完全に開墾されて雑木林は全く残らず、水路や小川はことごとくコンクリートで固められ、ホタルもドジョウもフナも何もかもいなくなってしまった。
「今晩、味噌汁にふきのとうを入れて。楽しみです。」
お礼を言っておばさんと別れ、去年ふきのとうを採った田の畔のほうへ遠回りして行ってみた。
このあたりだったなあ、と思えるところの枯草を掻き分けて見回したが、一つも見つけられなかった。
数日後、夕食に洋子がてんぷらを作ってくれて、そのなかにふきのとうが入っていた。
「あれ、採ってきたの?}
「ランと散歩にいって、採ってきたの。いつも見つけるところで。」
二月のふきのとうは、苦味が強かった。早春の香りだった。


空き地の枯れた月見草の種を食べに来ていた小鳥が、緑色をしている。
20羽ほどの群れだ。
なんという鳥だろう。双眼鏡で見ながら野鳥ブックで調べてみたら、マヒワという小鳥だった。スズメより小さい。
写真の解説のところに、こんな文章があった。


上高地河童橋付近の梓川河畔に多いハンノキの梢には、マヒワベニヒワの小群が群れてその花穂や種子をついばみ、マヒワはオオシラビソの梢などにも群れてその種子をついばむ。

     松林高きがうへの空晴れてヒワなきすぐる声の聞こゆる   竹尾忠吉

 森閑とした冬木立の梢では、コゲラゴジュウカラ、キバシリなどの留鳥たちの小群が、枝から枝へ幹から梢へと移動しつつ餌をあさっている。」


草の種をついばんでいるのは、スズメもそうだ。シジュウカラジョウビタキムクドリツグミも、餌を探して庭に来ている。
犀川に来ている白鳥の北帰行が始まっているそうだ。