毎朝の散歩の途中、小さな若宮稲荷に立ち寄る。
老犬ランは、とぼとぼ歩き、
ぼくはストックをつきつき、
舗装路から野道に入り、若宮稲荷へ、
野道を折れ曲がり、折れ曲がり。
ランは草の道に入ると、元気になる。
ランは、草と土が好き。
菜の花があると、葉や茎をぱきっと食いちぎって食べる。
ナズナは、とうが立ったからもうおいしくない。
若宮稲荷は、小さな祠(ほこら)ひとつ。
祠は石積みの上に安置され、祠の手前に屋根だけの簡易お休みどころが建っている。
丸太を輪切りした腰掛けが数個置かれている。
そこに腰を下ろす。
稲荷神社は農耕の神とされてきた。現代は商売繁盛の信仰がさかんだ。キツネがその霊獣とされている。
ランはあたりの草をかぎまわる。
ぼくは山を見る。
蝶が岳から常念岳、雪の尾根を眺める。
この春は、山小屋も休み。登山者もいない。いやこんな時こそと、登っている人もいるかもしれない。
若宮稲荷、お参りする人の姿を見ることはない。信者もいるのかいないのか。
十メートルほど、草の道が参道。踏まれた痕もない。
たまに誰かが草を刈るが、いつも草が生い茂ったまま。
その参道際に、馬頭観音の自然石の碑がいくつか建っている。
不思議なことに畜魂碑が一つ、高さ五十センチほどの碑、平成十五年に建立と彫られている。家畜の魂をまつる?
今やもう牛や馬を飼う人はいない。それじゃ、何をまつる? 犬、猫?
お休みどころの丸太に腰を下ろして、田畑の彼方に目をやる。
諏訪神社の森がある。
かすかに遠くで小鳥が鳴いている。
声を出して歌った。