「鐘の鳴る丘」少年たちと合唱練習



「鐘の鳴る丘コンサート」が一週間後に迫った。
厳さんが車で迎えに来てくれて、一緒に「鐘の鳴る丘」へ向かった。場所は穂高地区の山林の中にある。
松林の続く山麓線から山側へ入ったところに、時計台が見えた。
今日は、少年院の高原寮生徒たちと一緒に練習することになっている。
初めて訪れる少年院だった。白亜の瀟洒なたたずまいはおよそ少年院らしくなく、いくつかの異なるデザインの小さな棟が傾斜地に連なり、
一見、野外活動センターのように見える美しく開放的な施設だった。
練習の開始まで少し時間があったから、職員に案内されて一室で待っている間、壁に掲示されたたくさんの写真を見ていた。
北アルプス燕岳登山をして、頂上で記念撮影をしている写真、その笑顔、
鹿島槍スキー場でスキー講習を受けている写真、上達の速さを讃えた説明、
町の老人施設へボランティアに出かけて活動している写真、元気な草とり、土の運搬、人の役に立つ幸せ、
それらは少年院というシステムの、世間の常識とは異なるものだった。
少年院に入ることになった非行の契機はあったであろうが、ここでの生活は少年たちが非行や犯罪に走るようになった、その生い立ちに欠けていたものを補い、生き方を矯正していく精神的な支援が主になっていった。
フェンスも格子もなく、近くの民家が隣に見えた。
施設の廊下の向こうには、中房温泉に上っていく山道が続いていた。


今日の男声合唱の練習に来た数人一緒に、寮長さんに案内されて練習場に上っていく。
渡り廊下からレンガの階段を上っていくと右に、27日の本番が行なわれる体育館があった。
合唱練習をしている部屋に来た。指導者の女性の声と、生徒の太い声が聞えてきた。
院生は二十人ほどだった。
椅子に座り、背筋をまっすぐ伸ばし、両手は太ももの付け根に当てているその姿は、世間の学校の生徒たちの姿とは別のものだった。
きりっと胸を張り、指導者の顔を見て、みじろがず、西山さんのあふれる情熱に応えて、元気に歌っている。
今日やってきた男声合唱のメンバーは十数人いた。30年目になるコンサートであるにもかかわらず、コンサートにこれまで男性は加わってこなかった。ずっと地元の婦人たちの合唱団が、少年たちを応援してきたのだった。
指導者の西山さんは、昨年の「早春賦音楽祭」をきっかけに「大地讃頌合唱団」を結成し、その男性パートが今年「鐘の鳴る丘コンサート」に初めて加わったことで、
合唱がさらに荘重に力強くなったことをたいそう喜び、何回もその気持ちを言葉に出された。
少年たちの隣に、半分は高齢者の男性が座った。
今年たちは一斉に起立し、代表生徒がきりりとあいさつをした。
練習は、彼らの歌う歌のメドレーに続いて、全員合唱の「手のひらをかざして」と「カンタータ 大地讃頌」だ。
山崎朋子作詞作曲の「手のひらをかざして」も「大地讃頌」も、学校の合唱コンクールでもよく歌われている。
ピアノを弾きながら指導していく西山さんは、突如立ち上がると、その時頭にひらめいた想いを口にされる。
「今日来てくださったのは、おじいちゃんも混じっておられます。みなさんを応援しようと、来てくださいました。応援団です。バスを歌ってくださる男声が入って、すごいでしょう。歌がすごいでしょう。」
そして少年たちへの励ましと、未来への希望を語られる。
午後の少年院のスケジュールに合わせた一時間あまり、
最後に互いに挨拶を交わして練習は終わった。
グランドにまだ雪が少し残っていた。