霜の降りた野の道を歩く。
最近、読んだセルフ=アイデンティティの本の内容を想っていた。
とつぜん頭によみがえってきた詩があった。
そうか、あの詩も。
岡本潤の詩、彼は過去を振り返りながら、
感謝と謝罪、許し、愛を、叫んでいたのだ。
この詩に出会ったのは、高校生のときだった。
ぼくは親に無言の反抗をしていただけに、岡本潤の詩は心に残った。
年を経て、ぼくの心に今もちんちん共鳴している、
感謝と謝罪と愛の、この詩。
▽ ▽ ▽
罰当りは生きてゐる
あなたは一人息子を「えらい人」に成らせたかつた
「えらい人」に成らせるには学問をさせなければならなかつた
学問をさせるには金の要る世の中で
肉体よりほかに売るものを持たないあなたは
何を売らねばならなかつたか
だのにその子は不良で学校を嫌つた
命令と服従の関係がわからなかつた
先生の有難味といふものがわからなかつた
強ひられることには何でも背中を向けた
学校へは上級生と喧嘩をしに行くのであつた
一から十まであなたに逆らふ手のつけられない「罰当り」だつた
その子はあなたを殴りさへした
―― その時その子が物陰で泣いてゐたことを
あなたは知つてゐますか
それでもあなたはその因果な罰当りを天地に代へて愛さずにはゐられなかつた
学校を追はれた不良児は当然社会の不良になつた
社会の不良は「えらい人」が何より嫌ひでそいつらに果し状をつきつけた
「善良な社会の風習」に断乎として反抗した
その罰当りがここに生きてゐる
正義とは何かを摑んで自分を曲げずに生き抜かうとする少数者の仲間に加はつて
警察へひつぱられたり あつちこつち渡り歩いたり
飢ゑて死んでも負けるかと云つて生き通してゐる
お母さん!
あなたが死んで十年
だがあなたの腹から出てあなたを蹴つた罰当りの一人息子は
此の世に頑然と生きてゐます
▽ ▽ ▽
岡本潤がどういう人であったか知らなくてもいい。
この詩をそのまま感じ取ればいい。
詩には、あふれるばかりの愛情がこもっている。
「その子はあなたを殴りさへした
――その時その子が物陰で泣いてゐたことを
あなたは知つてゐますか
「すまなかった、申し訳なかった」と、痛む胸。
「お母さん、ありがとう」と、感謝する心。
思想にひたむきになり、
信じる「正義」を押し通し、
謝ることも、感謝することもできなかった。
今振り返り、
意識の中に降り積もっていたものを見つめ、取り出す。
この詩が、内容の激しさにもかかわらす、すがすがしく、温かいのは、
岡本潤の心の作用に共鳴して、こちらの心も浄化するからなのだ。
お母さん!
あなたが死んで十年
だがあなたの腹から出てあなたを蹴つた罰当りの一人息子は
此の世に頑然と生きてゐます
岡本潤は、1901年(明治34年)生まれ。大杉栄、クロポトキンらのアナーキズムに共鳴、前衛詩運動にくわわり、
大正から昭和にかけてアナーキスト詩人として活躍した。
萩原恭次郎、壺井繁治、小野十三郎などと、『赤と黒』(1923年1月〜1924年6月)を創刊。
1933年(昭和8年)、詩集『罰当りは生きている』を世に出したが、発禁処分・押収となる。
1935年(昭和10年)、治安維持法違反容疑逮捕 。
1978年(昭和53年)、死去