劣等性が教師になる<『学校の悲しみ』(ダニエル・ペナック)>

 



「生徒はそれぞれ自分の楽器を持っているんですね。それに逆らう必要なんてない。
難しいのは、楽器の弾き手をよく知って、なんとか調和を見出すことです。
いいクラスって、ぴったり歩調を合わせて行進する軍隊じゃなくて、
同じ一つの交響曲を練習するオーケストラです。
トライアングルを受け持って、チンチン鳴らすことだけっていうことだってありますし、
ジューズ・ハープで、ビーンビーンってやることしかないってこともあります。
でも、大切なのは、
その人たちが最良のタイミングで楽器を鳴らすことなんです。
トライアングルの名手、
非の打ち所のないジューズ・ハープ奏者になって、自分のやっていることが全体にもたらすものについて、
すごく自信をもっているっていうことかしら。
全体がハモっている状態って、みんな好きですから、
全員前に進むことができるんです。
小さなトライアングルも最後には音楽に出会うんです。
たぶん第一ヴァイオリンと同じっていうわけにはいかないでしょうけれど。
でも確かに、同じ音楽を知ることになるんです。
でも、思うんですけど、問題は、トライアングルやジューズ・ハープに、この世の中では、
第一ヴァイオリンしか尊重されないって、たたき込もうとしていることじゃないですか。」
                     (『学校の悲しみ』ダニエル・ペナック みすず書房


「ジューズ・ハープ」という楽器を初めて知った。
金属か竹でできた弁をもっていて、演奏者はそれを口にくわえるか、口に当てて、
指ではじいたり、紐を引っぱったりして弁を振動させて音を出す楽器なんだそうだ。
トライアングルもジューズ・ハープも、地味で単調で目立たず、登場するときも少ない。
音を鳴らしても、陰に隠れたような存在だ。
しかし、それなくしては演奏が完結しない。
必要なとき、必要なところで、それが登場して、一つの演奏が完成する。
だから、
「小さなトライアングルも最後には音楽に出会うんです。
たぶん第一ヴァイオリンと同じっていうわけにはいかないでしょうけれど。
でも確かに、同じ音楽を知ることになるんです。」


この文章は、ダニエル・ベナックの著した『学校の悲しみ』に出てくる、
一人の女の先生の言葉である。
猛烈な「劣等生」だったフランスのダニエル・ベナックは、
その後の劇的な出会いと成長を経て教師になり、そして小説家にもなる。
ダニエルは教師になって、自分の少年時代と同じような「劣等生」を教えた。
ダニエルは、一人の女の先生に出会った。
その先生の言葉である。
ダニエルは彼女の授業を観にいった。
アフリカ系とアラブ系の移民の子どもがたくさんいる学校。
メディアが毎日のように垂れ流している恐ろしいイメージの学校。
暴動で知られる地域にある学校。


彼女は、授業に完全に没入し、圧倒的な存在感があった。
教室にはみなぎるようなエネルギーがあり、陽気さがあった。
メディアの垂れ流す暗い情報とは異なっていた。
ダニエルはこう書く。


「先生が教室に入ってくる。
先生はそこにいる。
絶対的な確かさを発散させながらそこにいる。
それは、先生の視線、
先生が生徒たちに挨拶するその仕方、
椅子に腰を下ろすその下ろし方、
教卓の使い方、
そういうことすべてに現れる。
教師は生徒たちの反応が気になって集中できないなどということはない。
小さく縮こまって、まわりに目がいかないなどということもない。
教室に入ってきた最初の瞬間から、教師の頭には授業のことしかない。
先生はそこにいる。
どっしりと目の前にいる。
そして生徒一人ひとりの顔を見分けている。」


授業が終わって、カフェで一緒に昼食をとりながら、
ダニエルは彼女に、
あれほどあふれんばかりの生徒たちのエネルギーを統率する秘訣は何かとたずねた。
「生徒たちより大きな声では決して話さないこと、これは効きますよ。」
と彼女ははぐらかした。
「私って、あの子たちといっしょのとき、あの子たちの答案を見ているときって、
あの子たちと完全に同じ場所にいるんです。一歩も離れない。」
「でも、別なところにいるときは、完全に別なところにいっちゃっています。
あの子たちのことなんか、完全に忘れている。」


このとき、完全に忘れている別な場所とは、
彼女はチェロを弾き、弦楽四重奏を演奏していたのだった。
そして、前述のオーケストラ論が語られる。


子どものときのダニエルは、どんな子どもだったか。
学校の勉強は全くできなかった。
遊びは好きだった。
ビーダマやオスレは得意だし、ドッジボールは誰にも負けない、
枕合戦ではチャンピオン、(寄宿舎にいたから)
おしゃべりで陽気、
いたずら好き、
クラスの誰とも友だちになった。
劣等生にもトップ集団にも友だちがいた。
遊びがダニエルを、劣等生の悲しみと孤独感から救った。
そのダニエルがどうして、教師になっていったか、
『学校の悲しみ』の記述は詳細を極めている。