絶望の中での生きる力 <1>


  


絶望的な状況にあって、
生きようとする力がどのように人に作用し、直面する死から人を生還せしめるか、
たくさんの記録が残されています。
それらを読むことは、今絶望的な状況に置かれている人や、
これからの自分の未来にまったく希望のもてない人にとって、
力になるかもしれません。
学校において、それらは教材として生徒たちに示されるべき遺産です。


ここにその一つをあげます。
それは、V.E.フランクルの『夜と霧  ドイツ強制収容所の体験記録』です。
この記録は、アウシュビッツ収容所に送られたユダヤ人の心理学者によって書かれました。
第二次世界大戦中、ナチスドイツは、組織的なユダヤ人虐殺を行い、600万人に達する命を奪ったと言われています。
強制収容所に送られることは死を意味していました。
このことについては、まず『アンネの日記』(アンネ・フランク)を読んで、理解を深めることでしょう。
隠れ家生活から、つかまって収容所送られる運命のなかに、少女アンネの絶望と希望がつづられています。


『夜と霧』の第八章は「絶望との闘い」というタイトルです。
収容所の生活は、逃れることのできない絶対的な死に向かう日々でした。
その章のなかにフランクルは、自分はどうしたか、書いています。
生きる望みがないなかでも、再びやってくる未来を予想する、それが効果を発揮するということでした。


「人間は本来ただ未来の視点からのみ、すなわち何らかの形で『永遠の相の下に』存在し得るということは人間に固有なことなのである。」


フランクルは、毎日の残酷な強迫に耐えられなくなったとき、一つのトリックを用いました。
それをこう記しています。


「突然私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。
私の前にはゆったりしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた。
‥‥そして私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。
――このトリックでもって私は自分を何らかの形で現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかもそれがすでに過去のことであるかのように見ることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように見ることができたのである。」

「これに対して一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった。」


そしてフランクルは、収容所のなかの、ある一人の仲間の例を書いています。
その人はかなり有名な作曲家であり脚本家でした。
彼は、フランクルにこんな体験を話しました。


――自分は奇妙な夢を見た。ある声が聞こえて、何か聞きたいことがあるかというから、戦争はいつ終わるのかと問うた。
すなわちいつ自分はこの収容所から解放されるのか、と質問した。すると、夢の中の声は、五月三十日と答えた。


夢の声を聞いた彼は、それを確信し希望をもち元気になりました。
ところが戦争は終わらず、五月二十九日、彼は突然高熱を発し、三十日意識を失い、翌日発疹チフスで死んでしまったのです。


勇気と落胆、希望と失望というような人間の心の状態と、体の抵抗力とに関係があり、急激な失望と落胆は致命的な結果をもたらしたのだと、フランクルは述べています。
収容所では、1944年のクリスマスの後、大量の死者が出ました。
死の原因は、絶望だったのです。
クリスマスには解放されて、家に帰れるだろうという希望が裏切られ、それが生きる力を滅ぼしてしまい、たくさんの人たちが死んでいったのです。
どんなに過酷な状態であっても、「生きるのだ」と未来を思い続ける、そして生きるために今そのときの生活目的を意識して生活する、
その目的をもった意識生活が、人間を生きのびさせることを、フランクルは見たのでした。


フランクルは、こう記しています。
「人生から何をわれわれは期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。」
そしてこう言います。
「苦悩もわれわれの業績であるという性質をもっている」と。
「苦悩しぬくこと、苦悩の極みによってたかめられうることは充分あったのである。従って必要なのはそれをいわば直視することであった。
もちろんそこには気が弱くなる危険や、ひそかに涙を流したりすることもあるであろう。しかしこの涙を恥じることはないのである。
むしろそれが彼が苦悩への勇気という偉大な勇気をもっていることを保証しているのである。」


収容所では自殺も頻発しました。
自殺したいと漏らしたふたりの人に、フランクルは話しました。
あなたを待っている人はいるか。
一人は、子どもが待っていると答え、
もう一人は、科学者としての仕事が待っていると答えた。
フランクルはふたりに、待っているものを意識させました。
各個人にはかけがえのないものがある。
生きつづけることによって、自分を待っているものに応えねばならない。
二人は、それに応えて、生きのこったのでした。