安井利次さんと新聞で出会った

「大阪で『フランクル研究会』が始まって11年になる。」

この書き出しから読み進めるうちに、不思議な予感があった。
「この会で昨年6月、中学と高校、2人の社会科教師が発表をした。
フランクルの言っていることは、今の子どもたちに大切なんじゃなかろうか。そう思っている2人だ。」
ここまで読んで、安井さんが登場すると感じた。
そのとおりだった。


『それでも人生にイエスと言う』などフランクルの本を訳した山田邦男が問う。
「教育の目的を一言で言うと?」
「安井利次はこう答えた。
『人間にすること』」
もう一人の高校教師はこう答えた。
「この世は生きるに値すると、伝えてあげること」


「安井利次」、間違いなくあの安井さんだ。
昔の同僚、22年前、彼は20代の青年教師だった。
記事はこう続く。


「安井は、子どもが好きで教師になった。ラクビー部を指導。ジャージー姿で走り回る。」
「教室で、『人間にとって一番つらいことって何がある』と聞いたことがある。
死? 病気? 子どもたちは、『孤独や』と答えた。
『教師は無力ですよね。子どもたちと時間を共にするくらいしかできない』
どんな時もどんな人にも生きる意味があり、ほかのだれでもないあなたを待っている人や務めがある。
フランクルのそんな思想を伝えたい。」


それは、朝日新聞の28日の朝刊、「ニッポン 人・脈・記  生きること」の連載特集記事だ。
安井さん、やっているな。
誠実そのものだった、安井さん。
記事の中に、生徒たちとラクビーの練習をする男の写真が載っている。
まぎれもない安井さんだ。そうか、もう彼は53歳になっているのか。


ユダヤ人だったフランクルアウシュビッツ強制収容所に入れられた。
両親、妻、子どもは、ガスで殺され、また餓死した。
フランクルは奇跡的に助かった。


「解放後数日経って、ある日広い野原を越え、
花咲く平野を通って、数キロも遠く、収容所の回りの町のほうへ歩いていく、
ヒバリがあがり、高いところでただよい、
空いっぱいひびくその賛歌と歓呼が聞える。
周囲には一人の人間も見えない。
帰りには広い天と地とヒバリの歓呼と自由と空間があるだけである。
その時、この自由なひろがりに進んでいくのをやめ、立ち止まり、そして天のきわみを見上げる。‥‥
そしてひざまずく。
その瞬間、世界から遠く離れ、心の中に唯一つの言葉だけを繰り返し聞くのである。
『この狭きよりわれは主を呼び、主はわれに広き自由の中に答え給う。』
どんなに長くひざまずいていたことだろうか。
どんなにたびたびその言葉をくりかえしたことだろうか。
もうそれは記憶していない。
しかし、その日、その瞬間に新しい生活が始まったのを知っている。
そして一歩一歩とこの新しい生活へとふみだしていく。
再び人間になってゆくのであった。」
                (『夜と霧』フランクル 霜山徳爾訳)

「人間になってゆく」
安井さんの、生徒たちへの愛と誠実はここから出ている。