いろんなリーダーを見てきた。
長の役職についているけれど、とてもリーダーとは言えない人も見てきた。
企業の長、組合の長、学校の長、
政党の長、共同体の長、‥‥
いま、国家の長が、リーダーとしての資質を問われている。
民の嘆きも暮らしも見えない人、見ない人、
目的も方向性も方策ももてない人、
指導性を発揮できない人、
独裁者、
国家や集団に君臨している人。
取り巻き連中がいる。
かしずくイエスマンがいる。
ただす人がおらず、
ただす人がいても排除し、
つくられた権限のなかで権力を発揮し、
そうして組織を誤った方向に進め、
崩壊に導く人がいる。
「1920年に、ガンジーは、手紡ぎ手織りの衣類しか身につけないという誓いを立てた。
この糸紡ぎの誓いを実際に守るために、ガンジーは糸を紡ぎながら会話を続け、
インタビューを行い、交渉を行うスキルを身につけた。
このような行為すべてによって、
ガンジーの誓約は衆人にチェックされることになった。
そして同時に、ガンジーが極めて重要だと信じていた問題に、一般の注目を集めることもできた。」
「道からはずれずに進んでいくためには、毎日の行動を評価することがとても重要である。
ガンジーは列車でインドを旅する際に、いつも三等車を使っていた。
三等車はその当時汚くて、混んでおり、非常に疲れる。
ある旅で、ガンジーの友人がガンジー夫人に駅の二等車の手洗い所を使えるようにしてくれた。
ガンジーはためらったが同意した。
後に、彼は自分の行動を振り返り、
『妻に二等車の手洗い所を使う権利がないことはわかっていたが、最後には私はこの不適当な行動に目をつぶってしまった。
これでは、真実だけを守る人間にはなれないことはわかっている。』と結論づけた。」
(「ガンジー 奉仕するリーダー」ケシャバン・ナイアー <たちばな出版>)
ガンジーは、真実と非暴力こそが絶対価値であると信じていた。
自分自身熱心なヒンズー教徒であったにもかかわらず、
インドの不可触賎民制度を礎にするヒンズー教に対して、次のような厳しい態度を明確にする。
「不可触民制度を完全になくすか、さもなくばヒンズー教が滅びるしかありません。」
そういう態度に対して、狂信的なヒンズー教徒から激しい反対行動が起こる。
それでもガンジーは不可触民制度根絶に向けて、疲れを知らぬ活動を続けた。
組織体にいると、その組織を支配する信仰、思想、目的などに、「右にならえ」してしまう。
迎合し、保身をはかり、
自分の生き方を合理化する。
反体制をとれば、排除され、弾圧される憂き目にあうから、
じっと従順をよそおい、服従する。
ケシャバン・ナイアーは、ガンジーの生き方から教訓を学び取っている。
「南アフリカのアパルトヘイトや、ナチスドイツのユダヤ人処刑は、偽りの絶対価値に対する忠誠心がどれほど危険なものであるかを示す。
企業では、組織に対する忠誠心があるために、社員は首をかしげるような他の社員の扱いを支持したり、
品質上の欠陥を見過ごしたり、
環境への影響に目をつぶったりしかねない。
このように、忠誠心が誤った方向へ向かわないように常に守ってくれる手段となるのが、本物の絶対価値を心から信じ、自らそれに従って生きようとする姿勢である。」
それでは絶対価値とはなんぞや。
ガンジーの絶対価値とは、「真実と非暴力」だった。
では真実とは?
非暴力は可能か?
ナイアーは、絶対価値であるかのような仮面をかぶったイデオロギーや伝統、宗教の教義、組織の目標、社会の慣習などに警戒するように言う。
国益や愛国心、組織やグループへの忠誠心、資本主義経済、自由主義経済、など、
「絶対価値もどき」は、世界中に蔓延している。
見極めること、吟味すること、究明すること、それしかない。
そうして真実を発見することである。