宮柊二の歌と家族

   をさなごよ 汝(いまし)が父は 才(ざえ)うすく いまし負(おぶ)へば 竹群(たかむら)に来(く)も



「幼子よ、おまえの父は才のない男だよ、おまえをおんぶして竹群に来たよ。」
柊二(しゅうじ)は、子守歌を歌いながら、我が子をおんぶして歩いている。
父ちゃんは、なんの才覚ももたない男だよ、と思う。
幼い我が子に対すると、父はありのままの人間になる。
昭和21年ごろの作である。柊二、34歳。


セピア色になった、かすかな記憶。
ぼくはまだ小学生になっていなかったと思う。おぼろな光景の断片。
戦争は悲惨の度を加えつつあった。
大阪大空襲は、それから後にやってきた、そんな頃だった。
父は、妹をおんぶして、家の前の道を行ったり来たりしていた。
夕方だった。
父は、歌っていた。
「おかあちゃん、はよう、帰っといで―」
単純な節をくりかえす父。
どういうわけか、母は出かけていて、帰りが遅かった。
ぐずる妹をおんぶして、父も母の帰りをひたすら待っていた。
ぼくは、父と妹の姿を見ながら、悲しくなっていた。
ぼくの二つ上の兄は、小学一年から田舎の祖父の家に、疎開していて、家にいなかった。
ぼくはひとり家の中にたたずんでいた。
幼いぼくの心にも、寂寥感がおしよせてくる。
家族の姿にひそむ哀しみ、それを感じた初めての体験だった。



      われと妻 壮の二人が 働きて 老二人 憩ひ 少三人学ぶ


壮は働き盛り、老は憩いの時期に入った者、少は青少年。
柊二、54歳。昭和41年の作。
これも単純な歌である。
老二人は、柊二の母、82歳と、妻・映子の母、81歳。
壮年の二人は、柊二と妻・映子49歳。
少三人は、柊二の長女21歳、長男19歳、次女17歳。
老いた二人の母は、ゆっくり暮らしを楽しみ、
子どもたちは、学びの生活。
柊二と妻が働いて家族を支えていく。
家族7人の暮らし。
しごく当たり前の生活を詠っている。
家族というものは、大昔から、子ども期、壮年期、老年期のサイクルを共に生き、
日輪がめぐるがごとく、その環を繰り返してきた。
ところが現代は、この原風景のサイクルを破壊する道をまっしぐらに進んでいる。
それが「発展」であり、「進歩」であり、「豊かさ」であると錯覚しながら。


老老介護」という言葉が生まれた。
老いたるものが、老いたる夫や妻を介護しなければならない。
「孤老」という言葉、
孤食」という言葉。


いま、僕の前に、
乳幼児を国に残してやってきた若者がいる。
生まれて数カ月の子を、父母に託してやってきた女性がいる。
家族のために、子どもらの将来のために、
資金を得ようと海を越えてきた。
若い彼らの陽気な笑顔、
哀しみは心の奥でたゆたうている。
かの国の若者たちもまた、家族の哀しみを生きている。


    頭(ず)を垂れて 孤独に部屋に ひとりゐる あの年寄りは 宮柊二なり


柊二の晩年も、孤独だった。