[教育]大川小学校の悲劇、その原因

昨年夏の福島の子どもキャンプ



 録画しておいた、石巻市の大川小学校の悲劇を報道するNHK番組を見て、不可解な思いが募った。大川小学校の悲劇からの2年間を撮ったという映像には、子どもを失った親や、児童とともに死んでいった教師の親が登場し、亡き子を偲び、その胸のうちを吐露しながら、悲劇の裏にひそむ原因を明らかにしようと苦悩し行動する。
 大地震が来て、北上川をさかのぼってきた津波に襲われ、108人の児童のうち74人が死亡し、10人の教師が犠牲になった。地震から津波までは51分の時間があった。なぜ校庭に集まった児童たちを早く避難させなかったのか。この待機はなんだったのか。
それがいっこうに明らかにされていない。学校の裏山は目の前にあったがそこへは行かず、川沿いの三角地帯に向かって子どもたちを誘導したのはなぜなのか、当時の現場の教師たちは死んでしまって、真実はいまだ闇である。
 何回か、教育委員会の説明会も開かれたが、説明はまったく真実に迫らない。
 学校、親ともに、危機意識が足りなかったとか、学校に対する安全神話があったとかだけでは事実は明らかにならない。
 避難するために庭に並んだ児童の前に立っていたであろう教師たちは、50分近く、何を思い何を考え、何をしていたのか、亡き人から聞くことはできない以上、推し量ること、想像することしかない。災害以前の教師たちの思考と行動を分析し、考察して、仮説をたてることから始めるしかない。それには生き残ったものたちからの聞き取りがいる。
 映像には、校長は全く出てこなかった。番組の制作意図は、原因究明が目的ではなく、この2年間の子どもを失った親たちの生き様を取材することが目的だったからだろう。
 津波までの50分、10人の教師たちはどうしていたのだろう。ぼくは想像した。
 教師たちの中から意見が出てきて、彼らは自発的に相談した、けれど指示がないと動けないということになって待機する、しかし、このままでは危ないと独自の判断で動こうと言う人がいた、けれどもどこへ避難すればいいのかと迷う声が出る、そこがあいまいだ、ここまで津波は来ない、大丈夫だという人もいた、みんなが動かない以上自分勝手は許されない、校長はいない、リーダー不在のまま教師たちは自制した、だが危機が迫る、三角地帯が安全かどうか不明のままに、だれかの指示で避難を開始した、津波はもうそここまで迫っていた、すべては遅かった。
 ぼくが思うのは、ふだんの学校のなかでの教師たちの判断力、思考力、討議の力、力関係、行動様式、教師集団の熟成度・質などが、こういう危機のときに現れてくるということである。リーダー不在、ボス支配、あなた任せ、討議なし、判断力欠如、追随、などの点ではどうだろう。
 ことは大川小学校だけの問題ではない。日本の学校に潜む問題である。
原因究明は、学校という世界の解明なくして、ほんとうの究明にならない。