「いのちのうた」つづき

                                    これが日本人の破壊的感覚。

 

「いのちのうた」つづき

 

 雨田氏は、障がい者の共同作業所から、ハープの演奏を依頼され、出かける準備をしていた。迎えに来てくれたのは、共同作業所の指導員と障がいをもつ青年だった。青年は、ハマダハープアンサンブルがレッスンしている部屋の前に立って、ドアに耳を付け、

「見える、見える」

と言った。

雨田氏は、

「『聞こえる』でしょ。」

と、思わず青年に言った。それを聞いた作業所の指導員が、

「いや、彼は見えるんだと思います。」

と言った。

障がいをもつ作業所の青年は、

「見える、見える」

と繰り返し、足をかたかた動かし始めた。

 

 雨田氏は、そのときのことを振り返って書いている。

 「私は絶句したまま、長い間突っ立っていた。作業所の青年の感性は、音が描き出すものを見ている。

    有史以前、狩猟につかう弓にヒントを得て、創り出されたと伝えられているハープ(竪琴)。それが47本の弦を持つようになったのは、今から200年ぐらい前のことと言われている。私の使うハープは、アイリッシュハープと言われている。これで演奏すると、糸をつむぐようだと言われる。そうかもしれない。空や大地、星や太陽、風や光、せせらぎや雷鳴、自然のあちこちを含んだ音が、弦の中にぎっしり隠されていて、それを弾くということは、それらの音をひとつひとつほぐして、もとのところへ還していく作業とでも言えばよいだろうか。

    遠い昔、三角形の木枠に弦を張って、初めてそれを弾いた人、いったいどういう思いで、音を創り出したのだろう。

    私は、青年の言葉にはっとさせられ、恥ずかしかった。濁りのない彼の瞳、同じくたくさんの瞳に、まっすぐに、しっかりと見つめられる時にも、ひたひたと共鳴できる音をはじき出す、真実の紡ぎ手でありつづけたいと思う。

    音楽は、言葉のできる前に始まった。これはヴァイオリニストのメニューインが言った言葉だ。アフリカの奥地には今でも音楽だけで暮らしている種族があるとも言い、その人たちが車座になって音楽をしている映像もあった。これを見た時、現代人、特に日本人の考えている音楽に対する価値観を考え直さねばならないと思った。

    言葉以前に音楽的表現があり、それが人間の気持ちの伝達手段であった。音声の感性的表現が変化して、言葉が生まれたのだ。

    音楽の歴史は紀元前4000年あたりと言われているが、納得がいかない。人間が人間として存在するようになった時間は、その何十倍になる。

 現代の文化は人類の歴史でいちばん進んでいると思っている。だがそれは、大きな間違いを犯しているのではないか。実は、現代は大きな後退期に入っているのではないか。」

 

    雨田さんの警告。

    現代の人間が生み出したのは、この地球の独占と破壊。