手塚宗求「孤独と夜」


  
八ヶ岳から蓼科山、つづく車山、
霧ケ峰高原は車山の西にひろがる。
ヒュッテ・コロポックルは、霧ケ峰の車山肩に建てられた小さな山小屋である。
そこに住んで60年になる小屋の主、手塚宗求さんは、今年は77歳になる。
ぼくは、手塚さんのエッセイのファンだった。
手塚さんは何冊ものエッセイ集を出版されているが、そのほとんどを読んできた。
霧ケ峰に吹く風や、山の動植物、ストーブの煙の匂いまで感じさせるエッセイが好きになり、14、5年前手紙のやり取りをしたこともある。
手塚さんからもらった手紙に、山小屋の裏にある沢をのぼってくるキツネの話が書いてあり、そういう話を書いてくださった手塚さんの心がうれしかった。


手塚さんの、「山 ――孤独と夜」(山と渓谷社)のなかに、印象深い話があった。
手塚さんはNHKの「ラジオ深夜便」という番組で、霧ケ峰の話を放送したことがあった。
ラジオ深夜便」という番組は、夜の11時30分からで、たくさんの人が聴いているらしい。
手塚さんは、NHKの人からそのことを聞いて驚いた。
深夜ひとりっきりで、眠ることもなくさびしく過ごしている人がいる。
老人も多い。
手塚さんは、一人の宿泊客のことを思い出した。


 「私はふっと、もうずっと前になるが、夜遅くまで山小屋の火の前で、
その火を見つめながらうずくまっていた初老の宿泊客の姿を思い出していた。
もう遅いから寝ませんか、そう言おうとして口をつぐんだのは、その人にとって、今そうして一人っきりでいる時間が、非常に大切なもの、必要なひとときに思えたからだった。
 その人は、ほかの人たちが寝静まってもストーブの横にいた。
私はその人がなぜ一人の時間をすごそうとしているのか、
なんとなくわかるような気になったので、声をかけるのをやめてしまった。」


この場面に、ぼくは、仕事をするとはどういうことか、それを体現している手塚さんの心を見る。
人を泊めるのが仕事、というのを超えている。
もちろん金をもうけるというのを超えている。
山小屋に泊まる人にとって、山小屋の価値とは何だろう、それを汲み取る想像力が手塚さんにはある。
だから、もう就寝時間だから、寝てくださいと言わなかった。
ストーブの火を落とすから、いつまでもここにいてもらっては迷惑だとも思わなかった。


手塚さんが放送した後、電話や手紙が来た。
そのなかに、「75歳で亡くなった父の山日記を読んだ」という人からのものがあった。
手塚さんの話を聴いたあと、もしかしたら父は霧ケ峰に行ったのではないかと思い、
山の好きな父のつけていた山日記を読んでみたくなった。
日記の中には、霧ケ峰のことは記されていなかったが、
心にとまった文章があった。
それは、みんなが寝静まった後、火を見つめていると眠ってしまうのがもったいなくなり、
ひとりで火の番をしていたという記述だった。
手紙の中でその息子は、
「父が山に行く理由の一つに、そうした孤独の楽しみ方があったと思います。」
と書いていた。


手塚さんは書いている。


「この世の中には、まったく身寄りのない老人が、どのくらいいるのだろうか。
話しかける人もなく、語りかけてくれる人もいない。
行く末を気にしてみてもなにも始まりはしない。
今こうして生きていることに不安を持ちながら、じっと風の音を聴いている。
夜更けてから、ラジオを聴いて朝を待つことのできる人は、まだ幸せというべきだろう。
 どんな事情があろうとも、山の中にまで孤独を引きずってこられる人は、まだ幸せと思わなくてはいけないだろう。」


仕事も家もなく、生活が苦しくて自らの命を絶つ人が増えている。
東尋坊を訪れる自殺志願者を毎日見守って救っている人がいる。
岩壁の上にたたずむ人に近づき、
連れて帰り、話を聴く。
宿舎を用意し、仕事をさがす。
容易ではない活動を、毎日続けている。
一人の活動では救えるのも限られている。
ネットワークを作れないか。
救う人の嘆息、救われる人の嘆息が深い。