近くの土手焼きの灰がちらちら空から舞い落ちる葦の茂みに、
まだヨシキリの声はなく、
鯉たちの遡上まではまだ日があるようだ。
土手の草原は水際にかけてなだらかに傾斜し、
そこに枯草を保護色にした土筆がつんつん生えていた。
いつのまにやら黙ってこっそりと、まあそれでもたくさん出てきたもんだ。
女の子たちに、
「これはツクシと言います。私はこれを食べます。」
と言いながら、摘み始めたら、
「中国には、ありません。」
と言いながらも、競うように彼女たちもツクシの坊やを摘み、
私のてのひらに、摘みとったその一握りを手渡してくれた。
遠く日本へ旅立つ娘に、彼女たちの親は、干し菜をたっぷり持たせてやった。
日本は物価も高かろう。
ふるさとの野菜を持っていって、しばらくそれを食べなさい、
父母の愛情がにじんでいる。
日本に来てまだ3日、
うららかに晴れ渡り、彼女たちはそれを寮の洗濯物干し場に、新聞紙をひろげて干した。
乾燥野菜は細かく切ってあり、正体が分からない。
「なんという野菜ですか。」
尋ねてみたら、返ってきた中国語の野菜の名は何一つとして分からない。
日本ではなんと言うのだろうか、
たずねると、彼女たちは辞書を引いて、見つかった日本語を伝えてくれた。
ひとつはタケノコ、それから干しシイタケ、長豆のインゲン、黒キクラゲ、黄花菜、
へえーと感心して聞く。
彼女たちのふるさとの生活が目に浮かぶようだ。
摘んだ土筆を、自己流でぼくは煮た。
砂糖を少しいれて、桜エビを加え、出し汁で煮る。
油気が必要だと思って、買ってきたゴボウの天ぷらを加えた。
少しみょうちくりんな、味わいだったが、
それでも結構おいしかった。
春の香りのする野草の素朴な味わい。
毎食、このごろ大根おろしを食べることにしている。
馴染みの八百屋のおかみさんのところで、
大根を買う。
太いのが2本で100円。
それを毎食、切り取っておろし、ちりめんじゃこを加えたり、
納豆を加えたりして、おかずの一品にしている。
今回、我が家の畑の信州大根を持ってくるのを忘れたので、
地元野菜を買っている。
この大根おろしの効き目だろうか、
体調がすこぶるよい。
おなかの調子もいいし、
元気が出るし、
これは、ジャガイモ、玉ねぎ、人参などの根菜の力もあるかと思う。
もちろん菜花やホウレンソウなどの葉物もたっぷり食べている。
さらに八百屋のおばさんのところの格安リンゴを毎日1個食べている。
これらの効果もあるかもしれない。
3月になった。
いよいよ春だ。