トイレのないボリビア農村でトイレ建設


          地球宿で報告会


久しぶりで会った彼女、日に焼けた素顔は健康そのものだった。
トイレのない農村で、トイレを350基も建設してきたのだ。
かつての強靭な野性味のうえに思慮深さが加わり、ゆったり落ち着きのある女性になった。
今春出産し、今は二人の子の母親だ。
この7年間、南アメリカの中央に位置する国、ボリビア山地で彼女は活動してきた。
青年海外協力隊員として野菜栽培と家畜の飼育支援で2年間、そのあとボリビアに残り5年間、ボリビア農村支援の組織DIFARを立ち上げ、
トイレ建設をメイン活動にし、昨年からは生ゴミの堆肥化活動を加えて、実績を上げてきた。
「4月に日本へ帰ってきて出産したのですが、ほんとに日本では安心して子どもが産めます。ボリビアでは、子どもの死亡率が高いのです。」という。


ボリビア報告会、望君の地球宿には、20人ほどが集まっている。
サト子ちゃんはリラックスした表情でおだやかに語りはじめた。
2001年、22歳で協力隊に入り、派遣された村で、まず体験したのは自身の猛烈な下痢だった。
下痢が止まらない。腰の抜けるほどの激しい下痢、さすがの頑健な彼女も消耗が著しかった。
この地に入ったものが体験する最初の強烈な洗礼だった。
高地の農村の家々にはトイレがない。村の人たちは屋外で用をたしていた。
川は汚染され、感染症が赤子を直撃、子どもたちが死んでいく。


ビデオ映像を交えて、彼女は語っていった。
初めの活動は、農家の人々が自分の家で食べる野菜の栽培を促進することと、一月に一度食べるか食べないかの肉を、テンジクネズミの飼育によって補おうとするものだった。
小型のウサギほどのテンジクネズミは脂肪分の少ない蛋白源になる。
農家を回る彼女の活動と、その人柄は、村の人々から信頼されるようになった。
やがて活動を通して知り合ったボリビア人と結婚することとなる。
そして男子の誕生、だがその子も細菌による激しい下痢に2度も襲われた。
一回目はサルモネラ菌、二回目はアメーバ赤痢
何とか持ち合わせていたお金によって、病院の診療を受け、子どもは助かりはしたが、薬を買えない人々の子どもは命を落としていった。
彼女は病原菌で汚染されている川の浄化をやらなければならない、まずそれが先決だと思った。
そのためには住民に衛生知識を教える必要がある。
各家庭にトイレをつくろう、目標は500基。
採用したのが、ドイツで考案されたエコサントイレ、
尿と糞を分離し、尿は尿で肥料にし、大便には灰をその都度上から撒き、ときどき撹拌して1年間蓄積すると発酵してさらさらの堆肥になるというトイレだった。
人糞堆肥もまた畑の有効な肥料となる。
DIFARのメンバーは、紙芝居風に絵を描いて「うんちの危険性」「どうして下痢をするのか」「何故トイレが必要か」「エコサントイレの利点」「使い方」などをテーマにして各家庭で勉強会を開いていった。
トイレを建てても、誰も使わなかったら意味もない。
辛抱強く一軒一軒回りながら勧めていく活動だった。


今で350基が完成し、目標の500に近づいている。
これからの新たな目標は、生ゴミの堆肥化。
現地の市役所の優先事項として事業はすでに始まっている。
資金は日本の知人友人の支援と国際ボランティア貯金などを含め、現地の行政も動き出している。


二人の子育てをしながら、未来の子どもたちにつながる価値ある種をまいている。
エコサントイレでは、日本のNGO団体が世界の各地で、
偏狭の地に入っては建設する活動を行なっていることを知った。
1基の建設は、1万円以下でできる。
それが子どもたちの命を救うことになる。
彼女の報告は氷山の一角、地道な活動の底は深い。
心を打たれる報告だった。